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Sawasdee Thailand
続・バンコクの日常(その4)

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目次  

  1. 旅についての一考察
  2. 伝統文化についての一考察
  3. 法律についての一考察
   続・バンコクの日常(1)

  1. タイ語についての一考察
  2. タイ人についての一考察
  3. タイ随所についての一考察
   続・バンコクの日常(2)

  1. 交通についての一考察
  2. メディアについての一考察
  3. 品物についての一考察
   続・バンコクの日常(3)

  1. 暮らしについての一考察
   続・バンコクの日常(5)

  1. 社会についての一考察
  2. 余暇についての一考察
旅についての一考察

→ 3等列車の旅

今回、田舎から帰ってくるときに初めて3等列車のエアコン車に乗りました。

正確に言うと、本当は2等のエアコン寝台車の予定だったのですが、運悪く他のクラスの席は全部売り切れで これしか選択の余地がなかったのです。まぁ、エアコンが付いているだけでヨシとします。

切符に書かれている自分の席に座り、しばらくは夜の闇を眺めていました。そのとき、何となくなのですが どうも椅子の座りごこちに懐かしさのようなものを覚えました。椅子は4人がけの直角椅子で、背もたれと 腰にあたる部分があまり上等とは言えないクッションになっています。

なんとなく日本のJRに似てるよなぁ、昔は毎朝こういう列車に乗って会社に通ったんだなぁ、と 考えていました。

ふと気になって、窓の下の小さなテーブルに備え付けられている栓抜きが目にとまりました。 で、そこには日本語で「センヌキ」という言葉が書いてあります。

これは紛れもなくJRの車両のお古です。私はついつい嬉しくなりました。

壁に貼ってある座席番号や号車を示す案内板はタイ語になっていますが、これは間違いなく 私が昔、毎朝会社に行くときに乗っていたJRの車両そのものです。

私は今度はトイレに行ってみました。そしたら、そこにもドアの「開・閉」という刻印が日本語のまま 残っていました。

おそらく、目立つところは日本語のままでは困るからタイ語に書き換えたのでしょうが、目立たない ところは面倒くさいから日本語のままにしてあるのでしょう。そして、日本でもう使うことがなくなった 旧式の車両を、タイ国鉄が思い切り安値で叩いて買ったのだとは誰でも容易に想像できます。

今はどんどん新型車両がJRに投入され、走っている車両もすっかり近代的になったようですが 私としてはレトロの雰囲気がいっぱいの旧型車両が好きでした。

ですので、タイで何年かぶりかで懐かしい旧型の列車に乗ることができて、旧友にめぐり合ったような 懐かしさを覚えています。

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→ 日本のガイドブックはダメだ

最近、よく思うことの一つに日本で刊行されているガイドブックのつまらなさがあげられます。 いったいいつ頃からか、少なくとも私の学生時代の頃はもう少し面白い読み物だったと記憶しています。

例えばロンリープラネット社が発行しているタイのガイドブックは、暇な時にページをパラパラとめくってみると それなりに読み物として面白いのです。自分が住んでいるバンコク市内の既に知っている場所であっても その都度に新しい発見があるようで楽しめます。

それに対して日本のガイドブックにはそのような面白さはありません。これは以下のあげる二つの理由に よるものと私が考えます。

一つは、取材して記事を書く著作の体制にあると思います。ロンリープラネット社の場合、少なくて1人、 多くても数人の取材人が、自分で実際にその国を2年も3年もかけて旅をしながら記事を書き上げて いきます。その結果、その記事の内容は実際の読者の旅のスタイルと極めて似たものとなってきます。

一方の日本の場合は、短時間の間で書き上げてしまうのでしょうか、時にはその国の観光局や宿泊施設に レターを送るなどしていると想像できますが、情報が表面的なものにしか過ぎません。出版社のオフィスの 中で書かれた文章ですので、旅の臨場感がまったくないのです。さらには、一般の読者からのレポートによっても 構成されていることがあげられます。これはもう手抜きとしかいいようがありません。

もう一つは、写真が多すぎることです。「百聞は一見にしかず」の諺のように時としてはビジュアルな要素も 必要であるとは思うものの、少なくとも私には文章の稚拙さを写真で誤魔化しているとしか思えず、 無駄な印刷工程を費やしてページの余白埋めをしているようにすら考えられます。

ちなみに日本以外で刊行されているガイドブックには写真の類はほとんどなく、また白黒の2色刷です。 写真などというつまらぬ物を使って、読者の想像力を阻害してしまうようなおろかなことはしていません。

確かに写真がたくさんあるほうが見栄えがすることは私も認めますが、結局それはそれだけの物でしか 過ぎません。写真を挿入するスペースがあれば、その分読み物として楽しめる情報を増やしてほしいと 思っています。

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→ 宿の予約

近く私の友人が訪タイなので、その友人が泊まる宿の予約に行ってきました。

宿といっても私はそんなにバンコク市内のホテルを知りません。なぜならば、 ホテルという名のつく場所に泊まった経験がほとんどないからです。

その代わり、ゲストハウスだとか○○旅社だとか、そういう名のつく1泊1000バーツ以下の 宿でしたら私の得意分野のひとつです。そんなに立派なホテルでなくてもいいということを友人に 確認した上で、市内のほぼ中心部にある私の常宿までバスに乗ってとことこと出かけていきました。

常宿と書きましたが、私は以前この宿に「住んで」いたことがあります。1泊いくらという値段を 払っていたのではなく、月ぎめの料金として一括で払いまるで自分の家のように振舞っていた 懐かしの宿です。

私がフロントに顔を出すと、顔見知りの女の子が「あれ?トムヤム!どうしたの?またここに 住むの?」というとんでもない歓迎の挨拶をしてくれました。

「いやいや、そうじゃなくってさぁ、今度ボクの友人がバンコクに来るんだけど、部屋あいてる?」

彼女はフロントにある宿帳をぱらぱらとめくりながら「うん、空いてるよ。値段はそのままだから900バーツね。」

こうして難なく部屋を確保することができました。ある程度の長期滞在を想定して設計されている 宿ですので、部屋にはキッチンまでついており、対コストパフォーマンスで考えると結構お得な 安宿だと思います。もちろん、エアコン完備、小錦が2人は楽に寝れるほどのキングサイズのベッドが 備えてあります。

そんな居心地のよさのせいでずるずると住んでいた私にとっては懐かしの宿です。

帰りに、宿の1階にあるレストランもどきの安飯屋でコーヒーを飲みながら、2年前の昔を 懐かしんでいました。

ここの宿は私が個人的にお気に入りの場所ですので、あえてここに名前を載せません。

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→ 日本へのパッケージツアー

ソングクラーン(タイ正月)の時期を間近に控え、タイ人向けにその時期のパッケージツアーの広告を掲げている 旅行代理店を見かけるようになりました。

その中でも、やはり「日本」という単語が含まれていると「おや?」という興味の目で、結構真剣にその広告を 読んだりしています。

今日の昼休みに見かけた広告はざっとこんな感じでした。(直訳)

1.東京・箱根 3泊4日、期間2004年4月13−16日 65,000バーツ

(内容)

宿泊先・・・東京ディズニーランド隣接ホテル、箱根国定公園内日本式ホテル
キャリア・・・タイ国際航空
特典 ・・・全朝食、夕食2回付き、新幹線こだま号乗車

2.京都 3泊4日、期間2004年4月13−16日 68,000バーツ

(内容)

宿泊先・・・提携先4つ星クラスホテル
キャリア・・・タイ国際航空
特典 ・・・全朝食、京都市内観光付き

・・・(以下、略)

航空券の値段から考えてみると、それほど高くもなく安くもなくというのが正直なところです。

いや、宿泊先としては一泊20000円以上の高級なホテルを指しているのでしょうから、 日本人が個人で泊る価格よりもむしろ安いのかも知れません。

でも。

タイ人が日本に行くにはビザが必要なのです。すでに多数の方がご存知のようにタイ人が日本のビザを取得するのは 至難の業です。そのビザを取得しない限り日本への旅行は行けないのです。

つまり、街中でいくらこのような広告を見ようともそれはタイ人にとってはあくまでも絵に書いた餅にしか過ぎないのです。

私は日本人ですからお金を出して航空券を買いさえすればいつでも日本に行くことが出来る身ですが、 多くのタイ人にとっては決してそうではなく、そういうタイ人がこの広告をどういう目で見ているのか、 やはりそれでも日本という国に行きたいのか、あるいは、「だからこそ」日本という国に憧れるのか、 ちょっと気になるところではあるのです。

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→ タイの観光ビザ

私の会社の弁護士に聞いた話であり、私が直接に最寄の所管に確認した話ではありませんが タイの観光ビザの発給が厳しくなるようです。

今迄は、ビザなしで最高30日の滞在許可、観光ビザがあればビザ1つにつき60日、さらにそれを 延長することにより30日+αの滞在ができますので誰もが観光ビザを取得しがちで、しかもそれが 大変安易に取れていたのですが、どうもそうではなくなるらしいのです。

タイ政府としては
  1. 学生は、在学証明書と休学証明書を提出させる
  2. 会社員は、在職証明書と休職証明書を提出させる
  3. 自営業者は、会社の登記簿謄本のコピーを提出させる
  4. 退職者は、年金の証明書、年金支給年齢に達しない退職者は金融残高証明書を提出させる
各身分ごとにざっとこの書類の提示を義務付けるようです。

観光国タイですから、これはまさしく順風満帆で航海している船の帆を全部下ろしてしまうような対応であり 明らかにタイ渡航者が減るだろうと予想されます。

しかし逆にタイ政府は不正滞在の外国人(日本人を含む)や不正労働に頭を悩ませており、 それらを解消するべく採ったひとつの方法なのかもしれません。

あるいはまた、日本政府がタイ人の入国に厳しい制限(または、嫌がらせとも取れる行為)をしていることに 対する報復処置だとも考えられます。事実、韓国人や中国人はビザなしで、タイに最高90日 滞在することができます。

日本でタイのビザを取得しようとするとこのように手間がかかりますので、いちばん手っ取り早いのは タイにビザなしで入国してすぐにマレーシアなどの第三国に出国し、出国先のタイ大使館でビザを 取ることです。

おそらく、この制限は日本国内でビザを取得するときだけのものと思われますので、要は日本以外の 国でタイのビザを取得すればいいのです。

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→ タイの観光ビザ取得の困難化

少し前にこのエッセイでも書きましたとおり、タイの観光ビザの取得が極めて困難になっています。

学生の場合は休学証明、会社員の場合は休職証明を合わせて提出しないと日本にある在タイ大使館・ タイ領事館でビザが下りないようです。

さらにはタイ・マレーシア・カンボジアなどのタイ近隣諸国の入国スタンプがべたべたと押してあるパスポートの 場合も、タイに何度でも出入国しているということで不法就労の疑いがあると判断されて同様に観光ビザが 下りません。

(私の以前のパスポートも、日本の入出国スタンプよりもタイの入出国スタンプの方が多かったので もしもそのときにこのように制度が変わっていたらおそらくビザ取得は困難だっただろうと推測される。)

このように観光ビザ取得が困難になった理由としてはバンコクに滞在する日本人の不法就労が まず考えられます。本当にタイが好きでタイで働くとするならば、最低でもワークングパミット(以下WPと略) の取得が必要最低条件であり、仮に面接の時にWP支給の話が持ち上がらなかったとすれば むしろそのような会社では働くべきではないと私は考えます。

中には、WPなしであるにもかかわらずWPを所有している人よりも仕事ができ本当にタイのことが好きだ、 という人がいるのかもしれませんがやはりそれは法律違反であり、今まさしくタイの入出国管理局が 目を光らせていることのひとつなのです。

そういう法律違反の一部の不法就労日本人のために、まったく関係のない日本人の観光ビザ取得に 問題が飛び火するのは大変不愉快なことであると同時に、不法就労日本人に対して大変な憤りを 覚えます。

私個人に限って言えば、バンコクに好きで滞在する日本人は両極端に二つに分かれ、 ひとつは「抜群に優秀な日本人」、もうひとつは「もう救いようもないほどに堕落した日本人」のどちらかだと 思っています。

その後者のために、罪のない日本人観光客がビザ取得のために迷惑を蒙っているということをお伝えします。

なお、タイ国の観光ビザ取得に関しての情報は非常に流動的であるため、ご質問をいただいても 一切お答え致しません。必ずご自身で関係所管にお問い合わせ下さるようお願い致します。

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→ チケットの予約

ビザが順調に取れるかどうかはまだわかりませんが、順調にいった場合と行かない場合の 2つの場合を想定して、その2通りの日程で日本行きのチケットを予約しています。

順調に取れた場合はJALの直行便ですが、順調でなかった場合は経由便になります。 私個人としては値段のこともありますのでどちらかと言えば経由便の方が好きなのですが、 妻に言わせればどうしても直行便の方がいいようです。

前に一緒に飛行機でチェンマイに行ったときに窓から外を嬉しそうに眺めていましたので、 妻が特別に高所恐怖症というわけでもなさそうなのですが、やはりせっかく日本に行くのだから 日本の航空会社にこだわりがあるようなのです。

「あのね、経由便の方が飯が2回も出るんだよ。それに、日本以外のもう1か国にも 寄れるじゃない。もっとも空港からは外に出れないけれど、空港内でぶらぶらしてるってのも 結構楽しいんだけどなぁ。」

などとなだめすかしていますがどうも効き目がないようで、これは久々にJALの直行便に なっちゃうのかなと思い始めています。

私は愛知県の出身ですので、日本に帰るときはいつも名古屋空港ということになります。 バンコクと名古屋の間での経由地をあげるとすると、シンガポール、香港、台北、ソウルの 4都市があります。直行便の場合ですとバンコク〜名古屋が約5時間半、それに対して 経由便の場合は乗り換え待ち時間にもよりますが早くて9時間、遅ければ12時間は かかります。

列車に乗って妻の実家であるシーサケット県まで行くときも同じく列車に12時間乗るわけ ですので、それと全く同じ時間であり妻にとってはさほどそれが苦痛とも思えないんですがね。

いやいや、むしろ妻の実家の場合のほうがさらにそれからソーングテーゥ(乗合4輪トラック)に 3時間乗りますので、私が経由便で日本に帰るよりもさらに多くの時間がかかっていることに なります。

なお、関係ないですが経由便の中では個人的にインチョン(韓国)を経由する便が好きです。

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→ 日本大使館からの電話

先日のビザの件で日本大使館のタイ人職員から電話がありました。

「Nさん(私の妻の本名)の旦那様でいらっしゃいますか? 明日の午後1時半以降、Nさんに大使館にきていただくことは可能でしょうか? もちろん、旦那様もご一緒にきていただいても構いません。」

要約するとこんな話でした。

私はすぐにその要旨を理解することができず、

「つまり、明日ビザを受け取ることができるということでしょうか?」

と質問したところ、

「電話ではビザが下りるかどうか一切お答えできないことになっておりますので 申し訳ございませんが明日来て頂いた折にお話致します。」

との答えが返って来ました。

うーん、果たしてどうなったのか――私は瞬時にこう言いました。

「そうですか、わかりました。では、お伺い致しますがその時に何と何を持参すれば よろしいでしょうか?」

「えーと、この前お渡ししたパスポートの預かり証と現金1080バーツをご持参ください。 現金はお釣の必要がないように、きっちりと1080バーツ持ってきてくださいね。」

ふふーん、やはり私の思ったとおりのことをあたかも口を滑らせたかのように 話してくれました。

まさか、明日はビザが下りますよという話だけであり、また後日(つまり通算3回)来てください とも言わないでしょうし、お金をきちんと持ってきてくださいという言葉から勘案して、 問題なくビザが下りたのではないかと推測されます。

もっとも、これはまだ捕らぬタヌキの皮算用ではありますが、何となくそんな気がして くるのです。

ビザの取得がもしも長引くようでしたら日本行きの日程を変更せざるを得ず、 エアチケットの予約を大幅に変更しないといけませんので私としても非常に不都合きわまって しまいます。

すべては明日の午後に決まります。

思うのですが、どうしてたかが夫の国である日本に数日間観光に行くだけなのに、 これほど気持ちを東奔西走させなければならないのか、その疑問は一向に氷解しません。

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伝統文化についての一考察

→ 三宝節と安居入

仏教に関する祝日が多いこのタイでは、今日は三宝節、明日は安居入という日にあたり、今日から明日に かけて連休です。

「三宝節」というのは、タイ語で「アーサーラハブチャー」と呼び、その昔7月の満月の日、悟りを開かれた お釈迦様が最初の説法を5人のお弟子さんに説かれ、仏・法・僧の三宝が成立したと言われる日です。

語末にある「ブチャー」と言う言葉は古代サンスクリット語をその語源とし、「崇拝する、信仰する」という意味です。

そして、この三宝節の翌日が安居入(タイ語でカーオ・パンサー)という日で、この日から出安居の日まで約3か月間、 僧はワットにこもってますます仏教の修行に励みます。僧はこの3か月の間、特別なことがない限り還俗 (一般の民衆に戻ること)はできません。

これらの仏教にまつわる祝日は、太陰暦によって日にちがきまりますので毎年祝日になる日が一定では ありません。タイ全土で酒の販売をはじめ酒の提供も一切禁じられますので、バーやディスコは軒並み休業します。 私が見る限り、この酒類販売禁止令は厳格に守られています。

たまたま夜、繁華街であるスティサーン通りをバスで通りましたが、いつもならぎんぎんに電気がついている店も 今日は歩く人も少なくひっそりとしていました。

私も今朝、日本語の授業から帰ってきてからひとりでワット・ホアランポーングまでお参りに行ってきました。

ここのワットは普段から結構お参りの人が絶えなく、ワット内ではタムブン(お布施)をする人でごった返していますが 今日はそれにも増して多くのタイ人でいっぱいです。空いていればお御籤をひいてくるところなのに、 今日はゆっくりとお御籤もひけません。

ただ、今日はいつもより大目の金額をタンブンしましたけどね。

せっかくタイ語の上級クラスの授業に出ていますので、今日は授業中に覚えたタイの仏教のお話を書きました。

なお、タイの仏教は小乗仏教(テラワーダ仏教)であり、日本の大乗仏教とは全く異なります。

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→ タイの踊り

今朝ご飯をエーと2人で食べてから、私が昨夜買ってきたタイの民族音楽をBGMにして 私は本を読んでいました。まだエーが仕事に出かけるには時間が早く、傍らで何をしているのかなぁと エーの方を振り返ってみると、今かかっているカセットのラベルを何やら懸命に読んでいます。

「どうしたの?」と私が聞くと、「あたし、この音楽、踊れるよ。」と言います。

「じゃ、踊ってみてよ。」と私がまだ信じきれない様子でエーに問い返すと、なんとなんと―― 私がテレビで見たことしかないタイの古典舞踊そのものの優雅さで踊りはじめました。

それは、手の指のそり具合といい、頭から足のつま先までの曲線といい、まったくの踊りの素人である 私から見ても、きれいに型がきまっているときはぞくっとするほどの美しさなのです。

私があまりにも驚いた顔をしているのがよほどおもしろいのか、ますます踊るのにのってきたようです。

あまり私がタイの踊りに詳しくないので、辞書をひっぱり出してきてエーにいろいろ話を聞きました。 それと要約すると、次のようになります。

タイの小学校、中学校では男、女にかかわらず踊りの必修授業になっているそうです。 小学校低学年のうちは、比較的簡単な踊りの型しか教えてもらえないけど、高学年、または中学校に なるにつれてその土地に昔から伝わる踊りを徐々に覚えていかなければいけません。

男はあまり真剣に踊りの授業を受けませんが、それとは反対に女は自分の優雅さ、華美さを演出するために みんな一生懸命に踊りを覚えます。ですので、タイの女の子は多少の上手下手はあるものの、 ほとんど全員タイの古典舞踊を踊れるらしいのです。

エーはタイ東北部の出身ですので、私が買ってきたカセットがたまたまその土地のものだったのでしょう。 カセットのラベルについているタイ民族衣装の説明を聞きながら、今までに聞いたこともない芸術に関する 単語に戸惑いながらも、それを一字一句間違えないように単語帳に書きとめたのでした。

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→ 地域コミュニティ

日本ではそろそろ盆踊りですとか夏祭りですとか、そういった地域の密着した行事が始まるころだと 思っています。

そういった言葉を聞くと日本の夏を思い出します。(関係ないけど、昔、「金鳥の夏、日本の夏」っていう CMがありましたね、かなり古いですが。)

タイでもそういった夏祭りがあってほしいと思うのですが、残念ながらここバンコクでは日本のような 地域密着型のイベントはほとんどと言ってもいいほど皆無です。

バンコクは東京以上の人口密集地でありながらその大半は地方出身者ですから、どうも自分が住んでいる バンコクの土地に対して執着が薄いのです。タイ人だけが保有するタイ国民身分証明書の中にも 現住所の記載がありませんので、今現在住んでいるところはあくまでも仮の住居であり、それがために 地域のみんなで一緒に何かをするという機会がないのだと考えることができます。

せいぜいあって乾季の時期にワットで行われる歌謡ショウくらいなものでしょうか。

その反面、田舎に行くと多少事情が違ってきて、さすがに盆踊りとまでは行かないものの、米の収穫のときに 稲刈り鎌を持って踊る踊りだとか、雨乞いの踊りだとか、昔からその土地に伝わってきたいろんな風習にならって 地域に密着した行事があります。

この前、シーサケット県に行ったときにも日本の火のみ櫓にも似た高い木製の塔があり、夕暮れになると そこのスピーカーから何やらタイ語で放送が流れていました。それは、日本の田舎の夏の夕暮れそのものでした。

タイの田舎にはまだまだ地域社会に密着した生活風習が残っていると言えます。

タイ語で、「腹心の友のようにみんなと慣れ親しむ」ことを「クライ・チット」と言います。 私が田舎で、この「クライ・チット」という単語を口にすると誰もが「そうだ、そうだ」と言うような顔で喜んでくれます。

今日の夕方、学校帰りにドアから人がはみ出ている満員バスを見ながら、ここバンコクでは、みんな どれほど「クライ・チット」だと思っているんだろうと考えました。

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→ タイスキ屋にて

今日は少し夜遅くからサヤームにあるMKというタイスキ屋に行きました。

「今日は鍋の中に何に入れようかなぁ──エビは高いからその代わりにイカの団子にしようかなぁ」などと 考えながら、いつものように扉を開けて店に入っていったら今日は何かいつもと店の雰囲気が違うのです。

すぐにそれが何であるかわかりました。周りから聞こえてくるのが全部日本語なのです。

たぶん、お盆近くになって日本人の団体客がツアーか何かで大勢でこの店にタイスキを食べに来たのでしょう。 私がよくするように、中には「しゃぶしゃぶのたれ」を持参して、それをテーブルの上に置いて食べている人も います。

少し待って私達も席に着きました。周りからの日本語の洪水の中で、私とエーがタイ語で話をしていると 何となくエーを日本に連れて帰って、日本のレストランで食事しているような錯覚すら覚えてきました。

それとなく何を食べてるのかなぁと気になって見ていると、これだけは絶対にタイでしちゃいけないということを 平気でしていて、店の店員からの注目の視線を浴びています。

つまり、タイでは絶対に食器に口をつけてはいけないという、言ってみれば食事作法よりももっと厳しい 社会秩序のような風習があるのですが、ちょうど小鉢に入れるそうめんをすするときのように、小鉢を 手で持ち上げて中のタイスキの具をレンゲで口にかきこんでいるのです。

う〜ん、困ったものです。厳密に言えば食器を持ち上げることすらもタイ人は嫌います。

いくら短い滞在であろうとも、その国の風習や慣わしをあらかじめ知っておくことはとても大切なことだと思うし そうすることによりその国のことがもっと身近に感じられると私は思うのです。

実際に自分の場合に当てはめてみると、やはりラオスやマレーシアに行くときは一応それなりに その国々での慣わしについての本を読んだりします。

はたして、今日タイスキ屋にいた日本人がどれだけこのタイのことを理解してくれたのか、それは私では 知る由もありません。

でも、みんな高いお金を払って飛行機に乗って来るのだから、少しでも多くのことを知ってほしいと 思うし、さらにそのための文化風習といったことについても知識を増やしてほしいと思うのでした。

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→ ジム・トンプサンの売り出し

日本ではジム・トンプソンという名前で知られていますが、タイ語での発音に忠実に表記すると ジム・トンプサンとなります。

私はといえば──タイシルクにはほとんど縁のない生活ですので、いまだかつて店には行ったことが ありませんがタイを訪れる外国人の間ではすごく有名で、私の家からバスで10分ほどの距離にある ジム・トンプサンの家は多くの観光客を惹きつけてやみません。

このジム・トンプサンのタイシルク製品のバーゲンがバンコク郊外のバンコク国際貿易展示場で あさっての仏暦2546年9月14日に行われるそうです。

どうしてこんなに不便な場所で行うのかちょっと理解に苦しむところで、都心から行こうとすると バスで30分以上かかります。車がないと不便なところでして、そういう意味からから考えてみると このイベントは観光客向けではなく少しお金に余裕のあるタイ人向けであると考えたほうがいいのかも 知れません。

タイシルクといえば、7月に妻の実家に行ったときに部落の人が編んだシルクの布をたくさんもらってきて この前日本に行った時にその中から少し母にプレゼントしました。

(もらってきたシルクは決してブランド物ではありませんが、素人の私の目で見てもとても精巧な感じで 手触りがなめらかで自分でも結構気に入っています。)

母はもう老齢でシルクが似合う年齢は過ぎてしまいましたが、私が持っていったシルクの中からそんなに 派手でない物を選んで自分の洋服を作ると話していました。

そろそろ1か月になるから洋服が出来上がった頃だと思います。

タイシルクで母がどんなデザインの服を仕立てたのか少し気になるところです。

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→ ワン・サート

ワン・サートという言葉を手元にあるタイ関連の書籍で調べてみましたが、あいにくとこの話は載って いませんでした。

今日、旧暦10月の新月の日はタイでは「ワン・サート」の日にあたり特にタイ南部地方に深く根ざした 年中行事の日です。バンコクでは都市化が進んでしまってあまりこの慣わしに従うということはないようですが、 田舎に行けば今でもちゃんとこの日は先祖を送る日として大切な日であると考えられています。

いつ頃からこの慣わしがあるのかは今の文献では明らかになっていませんが、タイに根ざす仏教の教えでは 人は死後、その人の現世の行いによって天国に行くか地獄に落ちるか、そのように運命が決まっていると されています。

不幸にも地獄に落ちてしまった場合、1年に1度だけ15日だけ地獄の閻魔大王様がその霊に対して 人間界に行きご飯を食べてくることを許してくれます。その15日の最後にあたる日が、今日のワン・サートの日であり、 タイの人々はそれぞれ家で料理やお菓子をつくり、それを持って近くのワットにお供えします。

言い換えると、地獄からこの世に来た先祖の霊がそのご飯を食べに来るというわけです。 霊の中には、ワットに入ることすらできないほどの大きな悪事を働いた悪霊もいると考えられ、 そのような悪霊のためにワットの敷地の外にも食事を置いておきます。

このようにして霊に食事を献上することによって、今の自分の現世での悪徳が清められ、更にはその行いが 善行や報徳につながるということをタイの人々は信じています。

今日のバンコクは夕方から雷鳴が轟き大雨になり、この時間になってもまだ止まずに降り続いています。

昼間、市場の屋台の軒先で見たワットにお供えするためのお菓子も、誰かに買われてワットにお供えされ そして雨に濡れてしまったのでしょうか。

雨期の終わり、僧が修行を終えるとされている安居明け(オークパンサー)の日までもうすぐです。

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→ オークパンサーとバングファイ・パヤナーク

今日は陰暦11の月の満月の夜です。

こちらタイでは「オークパンサー」の日でして、これは日本語では「安居明」(あんきょあけ)と訳されています。

カーォパンサー(安居入)の日からずっと約3か月の間、ワットに篭って修行してきた僧が還俗することを 許される日であり、逆にいうとこの3か月間は特別な用事がない限りワットの敷地外に出ずに、 ただひすらに仏教の教えを学ぶことに精を出さないといけないわけです。

さらにもう一つ理由を挙げるとすると、ちょうどこのパンサーの時期は雨季にあたり、百姓が田植えをする時期と 重なって、その昔まだ道路というものがなかった時代に僧がむやみに外を出歩く、百姓がせっかく田植えをした 苗を踏みつけてしまうという仏様の説法でもあるのです。

現代では農業技術が進み、タイの国土の中には1年のうちで三期作できる土地もありますが、昔は日本と 同じように一期作が普通でしたのでこの仏様の説法はたいへん理にかなっていると思います。

そして、もうひとつ。

この陰暦11の月の満月の夜にはラオスと国境を接するタイ北部の県であるノーングカイ県で、 メーコング川の川面から火の玉のような丸い光が上がるという不思議な現象が見られます。 タイ語で「バングファイ・パヤナーク」と呼び、川の中に住んでいるパヤナークという幻の動物が、 火の玉を空に向かって吐いているのだと信じられています。

誰もその動物を見たことはないので正確なところは現代でも謎のままになっていますが、その姿は 大蛇のようだとも言われ、または竜のようだとも言われています。そして、この現象が見られるのは 毎年オークパンサーの夜だけです。

科学的に言及するとどうなるのかそれは誰にもわかりません。今まで機会あるごとにタイ人とこの話を してきましたが誰もわからないのです。もちろん私もわかりません。

ですが1年に1度だけ、今日のオークパンサーの日に川面から空に飛び出る光があるというのも事実です。 今、この稿を書きながらテレビを見ていますが、テレビでは川面から光が飛び出る様子を報じています。

私もやはりタイ人と同じように川の中にパヤナークが棲んでいるんだと思っています。

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→ オークパンサーの次は

昨日はオークパンサー(安居明)でした。そして、その翌日にあたる陰暦11の月の十六夜の日は タイの慣わしではワン・タックバート・テーウォーと呼ばれ、一言でいうと「僧に対して特別に寄進する」日であると されています。

私が仏教の授業時間中に習った知識で書くとすれば、仏様が母上の下からこの世にお降りになったと される日であり、言い換えれば今日のこの十六夜の日に仏様がこの世を開いたと言い伝えられています。

タイの人々は僧に献上するお供え物を手にしてこぞってワットに向かい、線香とろうそくを手に携えて ワットの本堂(ボート)のまわりを3回回ります。

(この「3」という数字は、仏様、仏様の教え、仏様のお弟子さんというタイの仏教にとって大変大切な 意味を持つ3つの要素を示すものです。)

しかし、残念ながらここバンコクではこの習慣も徐々に忘れられつつあるのが実情のようです。

それは、決してバンコクに住んでいるタイ人が信心深くなくなったということではなく、 仕事をして子供や親類を養うために毎日の生活に追われており、仏教徒として大切なことだと知りながらも なかなかワットまでお供えに行くことができないということを物語っている気がします。

今日の夕方、妻とその妹と一緒に家の近くにあるワットにお供え物を持っていきました。

私達の他にワットに来ているのは両手で数えられるほどの人数で、少し空ろな感じがしないでもありませんでしたが それでも僧房の中の一段高くなった場所には、おそらく朝の早い時間に人々が持ってきたのでしょう、 黄色い入れ物に入ったたくさんのお供え物が置いてありました。

それを見ながら、もう雨季も終わりに近くなったんだなぁと思いました。

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→ チュラーロングコーン大王

今日10月23日は、昔の王様であるチュラーロングコーン大王がお亡くなりになった日で、 その王様をお偲びする意味で祝日になっています。

チュラーロングコーン大王とは、今のタイの王朝であるラッタナコーシン王朝の第5代王様で 時代にして今から150年前、王様の正式なお名前は

「プラバート・ソムデット・プラ・チュンラ・チョーム・クラーゥ・チャーゥ・ユー・フゥア」

とおっしゃいます。

(今のプーミポン国王はラッタナコーシン王朝の第9代王様です)

王様はタイの近代化に多大な貢献をなさり、当時鎖国状態に近い状態であったタイに欧米からの 斬新なルネッサンス文化を取り入れ、ご自身も海外に留学されるというように世界に対して 広く門戸を開かれました。

さらに、それにともなって海外の技術の導入による農業の近代化、灌漑事業への貢献、 海外への特使の派遣などを積極的に推進され、この王様の功績がなかったと仮定すると 今のタイ国はなかったとさえ言われています。

別の言い方をすれば、ラオス、ベトナム、ミヤンマーと同じく第二次世界大戦後において 列強諸国の支配下におかれ植民地への道を余儀なくされていたかも知れないという意味です。

タイは東南アジア諸国の中で唯一、今まで一度たりとも植民地にならずに国の独立を守り抜いてきた 誇り高い国です。

それはこの王様の業績があったからこそであり、王様をお偲びするタイ人が三々五々 ドゥシット区にあるチュラロングコーン大王の銅像をお参りし、夕方5時には現国王様も お参りにいらっしゃいました。

銅像の周りはチュラロングコーン大王がお好きであったとされる桃色の花輪でいっぱいです。

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→ 中国正月

今日からタイでは中国正月になっています。

タイには華僑が多く、華僑が経営する食べ物屋の店先には、先祖にお供えするたくさんのお供え── 白飯、中国風のお菓子、鶏肉、赤と緑のジュースなどなどが線香の煙に混ざって置かれています。

ただ、今は鶏インフルエンザの影響で鶏肉価格が高騰しているようで、中には丸ごとの鶏をお供えして いない店も見かけます。

今日は、私の会社の従業員のうち半数以上が休みを取りました。もちろん中国正月の日だから 両親と一緒に過ごすというのがタテマエではありますが、私から見てタイ人以外の何者にも見えない 社員が中国正月と果たして関係があるのだろうかと頭を抱えてしまいます。

「あれ?○○さんって中国系だったの?」

「あ、えーとですね、おじいさんが中国人なんです。だから、ボクも少しだけ中国人でして。」

ま、その話が本当かどうかわかりませんが、この時期だけにわか中国人が増えてしまう私の会社です。

でも、実際のところタイの経済を握っているのは純粋なタイ人ではなく華僑であるというのは本当の話です。 宵越しの金を持たないタイ人に経済の舵を握らせたら、タイはおそらくつぶれてしまうでしょう。 タイでの金持ち層または実力派と呼ばれているのはほとんどが華僑です。もちろん、今の首相である タクシン・チンナワット氏も華僑です。

そんな華僑にとってのタイ正月。華僑が大好きな金の価格も高騰しており、1バーツ(金の売買単位)の 売値が7800バーツにもなっていました。こんなにも高い金を平気で買うことができるのですから、やはり 華僑は私なんかよりもずっとずっとお金持ちです。

今日から数日、街は渋滞知らずでどこに行くにもサバーイ・サバーイです。

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→ 僧への献上

学校に通っていた頃は毎朝起きるのは7時過ぎでしたが、会社に行くようになってからは 毎朝6時半に起きるようになりました。

私が起きてすぐにウサギの餌を買うために市場に行くと、黄色い袈裟を身にまとった僧がタイ人から 托鉢を受けているのを見るのが朝の風景です。

タイには1月のうちに4日だけ僧の日というのがあり(タイ語で、ワン・プラ)、つまりそれは
  1. 満月の日
  2. 新月の日
  3. 上弦の月の日
  4. 下弦の月の日
とされています。

普段は時間がなくて僧に食事を献上することができませんが、このワン・プラの日だけは勤めて早く起きて 市場に行って僧に献上するご飯とおかずを買って、家の前の小道で僧がやって来るのを待ちます。

僧が来たら、「ニモン・クラップ」と声をかけます。こちらにどうぞ、という意味のタイ語でして、僧に対してのみ 使うことができる言葉です。絶対に「サワッディー・クラップ」などという挨拶をしてはいけません。

僧は仏様の分身とされており、一般の人がなれなれしく挨拶できる存在ではないのです。

僧の前で履物を脱ぎ裸足になります。そしてワイをして僧に一礼し、僧が持っているバート(お鉢)の中に、 自分が用意しているご飯とおかずを差し入れます。

最後にその場にひさまずき、再度お祈りごとを念じながら僧にワイをして僧への献上は終わりです。

僧がこのとき一言二言声をかけてくれることもあります。このときになれば、礼を失しない程度の丁寧な 言葉で僧と話をしても構いません。

本当は僧に献上するご飯は自分で作るのがいいのでしょうが、さすがにバンコクの場合は勤め人が多いですので やはりそれは店で出来合いの物を買ってくるというのが一般的です。ご飯、おかず、オレンジジュースなどの 飲み物、小袋入りのインスタントコーヒー、蘭の花一厘がセットになって20バーツ程度で売られています。

なお、余談ですが僧はワットの外を歩くときは常に裸足です。履物を履いていると、例えば歩いている時に 地面の上の小さな虫を踏んでしまったときに、踏み潰して殺してしまったりすることが多くなるからです。

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→ タイでしてはいけないこと

王室の批判をしてはいけない、朝夕に戸外で国家が流れるのを聞いたらその場に立ち止まらなければ いけないなどということの他に、タイでは社会通念上いろいろとしてはいけないことがあります。

1.できるだけ足を組んで座らない

向かい合わせに座った場合、足を組んでいるとそのつま先が相手のほうを向くことになります。 足先で人のいるほうを指し示すというのは大変失礼なことにあたりますので、足を組んで座っては いけません。

2.人の頭に触らない

これは絶対にだめです。頭には精霊が住んでいるとされており、たとえば子供の頭を撫でたりするのは 絶対にだめです。夫婦や恋人などそういう人だけに限られます。

3.大声で話さない

日本人にとっては少し声が大きい程度でも、タイ人は明らかに拒絶反応を起こします。 私が感じるに、タイ人は耳が極めて良くて少し市くらい小さい声でもちゃんと相手の言うことが わかるようです。

特に屋内にある公衆電話で話しているときに、あまりにも大きな声で話しているとその辺を 歩いている人に顰蹙の目で見られます。

4.ポケットに手を突っ込んで歩かない

ポケットから拳銃でも入ってるんじゃないか、などと思ってしまいます。 うちの妻は、その姿を不気味だと語っています。

思いつくままに述べるとざっとこんなところです。特に、上の第3項は私がついついしてしまうことでして 例えば会社内で電話しているとき、相手の声が聞き取りにくいなどの理由でどうしても大きな声に なってしまいます。

日本でしたら特に何ともないことだと思いますが、私の近くに座っている女の子にいつも「声が大きいねぇ」 と言われてしまいます。

逆にタイ人が電話しているのを聞いていると、本当に小さな声で話しているのがわかります。

郷に入らば郷にしたがうと言う諺のとおり、このあたりをいかにタイっぽく振舞うかによって その人のタイ人度が大きいか小さいかがわかるように思えます。

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→ ワット・プラケーォ

約1か月前から私の友人が私を訪ねてタイに遊びに来てくれていて、今はそのご両親も含めて ガイドブックには絶対に載ることのないバンコク市内のB級観光に夜な夜な出かけています。

でも、さすがにB級なところばかりでは私の示しがつきませんので、昨日は午後からタイの国王陛下が 直々に管理なさっているワット・プラケーォに行ってきました。

ここのワットは入場する際の服装に大変厳しく、かかとのないサンダルはダメですとかノースリーブの服は ダメですとか、そのような不文律があります。私たちはついうっかりしていてそれを忘れてしまい入場しようと したのですが、やはり私の妻と友人がひっかかってしまい妻は袖つきの服を買わされ、また友人とご両親は サンダルを借りました。

ところが、ところが。

妻が無理やり買わされたポロシャツを見て、私は嬉しくなってしまいました。きれいな空色のポロシャツには 胸のポケットの位置にタイ語でワット・プラケーォの名前が刺繍されていて、後ろには第5代王様が乗って いらっしゃった長船の絵が描かれています。

今まで長いことバンコクにいますが、もちろん一度足りともこのような服を見たことはなく、これが明らかに 非売品であることは容易に想像できます。それを思いがけないことから300Bの値段で買うことができて あたかも宝物にでも遭遇したような気分になりました。

今日半日、妻が着た後は私が着ることにします。

私は、このようなタイチックな物を集めるのが好きでして家の中にはチープなタイグッズがいろいろと 置いてありますが、王様が管理なさっているワット関係の物は初めてでして少しだけ誇らしい気分になりました。

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→ ウサギとワット(1)

少し前に、私の家で飼っているウサギが6羽の子を産みました。

母ウサギは子育てには全く関心がないようで自分が食べる餌のことしか頭になく、 やむなくしばらくの間は私と妻で面倒を見ていました。まだ野菜を食べることができませんので 朝夕、小さなスポイドを使ってミルクを飲ませて育てていました。

ですが、あいにく私の家は共働きで昼間は私も妻も家にいません。時々二人とも帰りが遅くなったりして ウサギの子にしてみればとても住み心地の良い環境とは言えず、もしか死んでしまうんではないかとさえ 思えてきます。

私は妻と相談しました。このままじゃ、ウサギの子がかわいそうだから誰か育ててくれる人はいないかな、と。

そしてその相談の結果、ウサギをワットで育ててもらうことにしました。

タイの仏教(小乗仏教、テラワーダ仏教とも言われる)の教えの中に「生き物を意味なく殺生してはならない」 という教えがあります。その教えに則れば、たぶんワットで修行している僧が何かしらの面倒を見てくれるのでは ないか、少し他力本願な感じがしないでもないですが私は僧に献上する日用品(コーング・サンカターン)を 用意し、そのほかにいくらかのお金を「喜捨」の意味で封筒に包みました。

でも、どこのワットに行けばいいんだろう。家の近くには大小さまざまなワットがあり、あるワットは有名な観光地 であったり、またあるワットはしんと静まり返った静寂な感じであったりします。

どうせなら、ウサギが大きくなったときに自由に遊びまわることのできる広い敷地があるところがいい──。 そんな私の思いもあって、私たちはウサギをワット・ポーに連れて行くことにしました。

以前、私がワット・ポーに行ったときにワットの敷地内を犬や猫やアヒルが走り回っているのを見かけたことがあり たぶんそれらの動物も近くに住むタイ人が連れてきて、僧が面倒を見てくれているんじゃないのかぁと 思えてきます。

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→ ウサギとワット(2)

ウサギを段ボール箱に入れバスに乗ってワット・ポーに行きました。

暑い昼下がりに私たちがその段ボールを抱えて僧坊まで歩いていくと、今日最後の食事である 昼ご飯を食べ終わった僧が思い思いにポーの木の木陰でくつろいでいるのが目に入りました。

一言にウサギを預けると言ってもいったいどの僧にお願いしていいのかさっぱり見当がつきませんので 少し離れたところで眠そうに本を読んでいる一人の若い僧に聞いてみました。

「読書なさってるところをお邪魔して申し訳ありません。これこれこういうわけでこの6羽の子ウサギをワットに 預けたく思っています。修行の邪魔になるようでしたらもちろん引き取りますが、もしもよろしければ面倒を見て いただくことができますでしょうか。」

私はこれ以上ない丁寧な言葉でその若い僧に懇願しました。妻が横からやはり同じように僧にお願いの 言葉を述べました。

僧は少し考えるしぐさをした後で、タイ人特有のやわらかい笑みを浮かべてこう言いました。

「そういう理由があるのならこのウサギものワットの敷地内にいたほうが幸せでしょう。ここにはいつも誰か人がいますし、 緑もたくさんあります。ほら、あそこにいる猫もいつしかこのワットに住み着いてしまった猫で毎朝、自分どもが 餌をやっているのです。」

私たちはいっしょに持ってきた僧への献上品とお金の入った封筒を持って僧に付いていき、 年配の僧が座っている前まで行ってそれらを献上し、頭に水を振り掛けてもらいました。 そしてウサギを丁重に僧に渡しました。

妻が年配の僧と何か二言三言イサーン語で話し、最後に何か恥ずかしがるような笑みを浮かべていましたが、 私にはそれがいったい何の話であるのかわかりませんでした。

僧坊を出て本堂前の椅子で休んでいるとき、さっきの話が気になって妻に聞いてみました。

「あのね。さっき、『あなたたちに子供ができたときは、このようにワットに持ってきてはいけませんよ。』 って言われたの。イサーン語だったから、トムヤム、わからなかったんでしょ。」

私はそれにうなづいて、午後の日差しが照り返る静寂の中を本堂に鎮座する仏様に お参りに行きました。

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→ 早起きしてワットへ

今日はタイでは「ワン・マハー・カ・ブシャー」と呼ばれる祝日です。

妻と2人で早起きしてバンコク西部にあるプッタモントンというところにあるワットに行ってきました。

日本にいるときはお参りとはほとんど無関係な生活を送っていまして、せいぜい年に1〜2回お墓参りに 行っていた程度なのですが、タイに来てタイ人に囲まれて生活しているうちにいつしか私の価値観が だんだんとタイ人のそれに近づいてきて、こういうタイの仏教上の大切な日には何でもいいからタムブン(善徳)を しないと居心地の悪さを感じるようになりました。

そんなことをバスの中で考えているうちにワットに着いてみると、まだ朝の6時半だというのに大勢の タイ人がもうすでに僧に献上をすませ、みんなそれぞれに蓮のつぼみ、線香を持ってワットの本堂の周りを歩いて います。

妻にせかされるようにして私も僧にお供え物を献上し、妻と並んでワイをしながら本堂の周りを3周します。

本当は何かしらのサンスクリット語の仏教の言葉を唱えながらでないといけないらしいのですが、 私にはなんと言えばわかりませんのでタイ語でお願い事を唱えながら3周しました。

(妻に聞いたけれど覚えきれなかった。)

歩き疲れたので木陰に座って休んでいると、揃いの黄色い服を着た数人の男が近づいてきてタイ語で 何か言いました。どうも、それはワットへの寄付をお願いしたいということのようで、彼が手にしている紙を 読んでみると

「親類縁者がいない人が亡くなったとき、両親のいない子供をワットで預かったときなどの義援金として 志で結構ですので寄付をお願いしたく存じます。」

と書かれています。

普段、あんまり人のためになるようなことはしてないし──これも何かの縁でしょうと一人合点して たまたまポケットにあった10B硬貨2枚を渡しました。

彼はその場で領収書を書いてくれ、丁寧にワイをしてその場を離れていきました。

今日は朝からワットにタムブンに行き、そしてその後にワットへの寄付をしたから近いうちに何かいいことが あるかも知れません。

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→ ちょっとしたタイらしい出来事

今朝私が乗ったバスは座席が全部埋まっていたとは言え、立っている人がちらほらの状態でした。

そんな中、一人の幼児が母親に手を引かれてバスに乗ってきました。本来ならば子供の姿を見つけると 座っている人が席を譲ってあげるのがタイでの作法となっているのですが、残念ながらこの幼児に席を 譲ろうとする心やさしい人はいないようです。ま、朝のラッシュ時のバスですから仕方ないのかも知れませんが。

幼児の背では手すりにまでとても手が届かず、必死になって母親の手を握っています。しかし、それでも 運転の荒いバスの揺れのせいで、今にも倒れてしまいそうに見えるのです。

私はたまたまその幼児の近くに立っていたので、片手でずっと幼児の肩をしっかりと掴んでいてあげました。 そうしてあげることにより多少は体が安定するからです。

間もなくしてその幼児は母親と一緒にバスを降りていこうとし、その前に私に向かって丁寧にワイをして 「コップン・カー」と言いました。私としては別に当たり前のことをしただけと思っていたところ、まだ小学校にも あがらない子供に丁寧なワイをされて正直なところ少し戸惑いましたが、何かこう朝のすがすがしい気持ちを 覚えました。

いったい何歳になったら子供のワイを教えるのか、おそらくそれは子供の物心がついた頃だと思っていますが 小学校就学年齢にも達していない子供が、このように他人から何かしらの施しを受けたときにきちんとワイを して挨拶できるということに私は少なからず驚きを覚えます。

それは決して一朝一夕に覚わるものではなく、毎日の親の躾の中から子供に伝えるタイの礼儀作法であり、 私がタイの文化の中で愛してやまないタイの素晴らしさのひとつだと思っています。

それを日本の子供に比較してみますと。

タイを贔屓にするわけではありませんが、明らかに日本の子供では そこまでのことをできないように感じます。

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→ サワッディー・ピーマイ

今日から3日間、タイ正月つまりソングクラーンです。

朝、いつものように7時前に起きて王宮前広場に出かけて行き多くのタイ人に混ざって仏陀の水浴をしました。

(日本語で書くと上記のような妙な文章になってしまいますが、ワットに安置されている仏陀を ソングクラーンの日だけ外に出し、善良なタイ人がその仏陀に水をかけて徳を積むという行いのこと。

仏陀のことをプラプッタ・ループ、仏陀を水浴することをソング・ナームと言います。また、僧は プラプッタ・チャーゥ(またはプラピックス)。)

いくばくかのタムブンをするのが慣わしであり、そうすることにより日本の初詣にも似たすがすがしい気持ちに なってくるのです。

その後は、近くのワット・ポーまで散歩に行きました。ソングクラーンのこの日、私の妻の妹がこのワット境内で タイ舞踊を踊ることになっており、その写真を撮影しに行ったのです。

私が着くともうステージの上にはタイの民族衣装を着た妹が踊りを舞っており、舞台の前には多くのタイ人や 外国人観光客が取り巻いています。私の姿を見つけると少し照れたようにはにかみ笑いを浮かべた後、 またさっきのように無心になって踊りを舞っています。以前、妻に聞いた話では学校で習う踊りの授業の中では いちばん上手だったらしく、それもまんざら嘘ではなさそうな動きです。素人である私にとっても華麗にすら 映ります。

せっかくだからと思って財布から100B札を出して舞台下まで行って妹に渡しました。妹はきれいにワイをしてくれました。

ワットに行くのだからと水鉄砲を家において出かけたのですが、やはり帰ってくるバスの中でしっかりと 水をかけられてしまいました。ソングクラーンの初日くらいは少し高尚にという願いも届かずにバスを降りたら 今度は頭から水びたしにされ──。

明日は友人のタイ人のピックアップトラックの荷台に乗ってバンコクの街に出撃です。

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→ 水びたし

昼少し前から、家の近くの知り合いのタイ人のピックアップトラックの荷台に乗って、バンコクの街に出撃です。

途中で水を補給しなくてもいいように近所の飯屋のおばちゃんの家から大きなバケツを2つほど借りて きましたので私が乗ったトラックの装備はバケツ4個、水がめ1個というとんでもない重装備なのです。

通りに出ると私たちと同じ様なピックアップトラックがあちこちに走っており、それらに抜かれたり、または すれ違いざまに水のぶっかけ合いが始まります。水鉄砲では水量が少な過ぎますので、洗面器に水をすくって 相手の車の荷台めがけてぶちまけます。あるいは、空気圧縮機が付いているバズーカ砲のような水鉄砲で ぶしゅわーーっ!と相手めがけて水をかけます。もちろん、自分もすでにパンツの中までびたびたです。

あるいは、今度は道路の端っこに約10人くらい地上部隊が待ち構えています。その辺にある水道の 蛇口にホースを直結してバケツの中には水が満タン状態、そのホースの口を思い切り絞って私たちに 水しぶきをかけまくってくれちゃうのです。

更には車の横にエアコンなしバスを見つけると、洗面器で水をなみなみにすくって開けっ放しになっている 乗降扉から水を思いっきりバスの中にぶちまけます。開けっ放しになっている窓があると、同乗のタイ人が 水鉄砲でちゅーっと車内に水をかけます。バスの中は当然水浸し、乗客ももちろん水浸しですが 乗客も結構喜んでいるのです。そもそも水浸しにされるのが嫌な人はエアコンバスに乗っていますから そのあたりの心配はまったくいりません。

そんなこんなで約半日バンコクの街を走っていたらすっかり体がふやけてしまいました。

家の帰り、シャワーを浴びてさっぱりしたところで飯を食べに出ようとしたら、またまたアパートの前に住んでいる 小さな子供に水鉄砲で遊ばれました。

やはりこのソングクラーンの時期だけは乾いてさっぱりした格好で歩くことはできないのです。

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法律についての一考察

→ 日本人の最低賃金

法律上の思いっきりグレーな部分をなしにして考えると、タイ国内で外国人を1人雇用するにあたって その最低賃金は4万バーツと定められています。

これは大卒のタイ人の給与の3倍近い金額であり、それだけ外国人がタイ人の一般ワーカーに比べて 能力的に上であると言う証左であり――などというのとは全く違い、タイ国が外国人の雇用をできるだけ 抑えてタイ人に対して雇用の機会を広げようとするのがその主たるねらいです。

つまり、外国人を1人雇うだけでそれだけお金がかかることから考えて、それだったらもっとタイ人を雇いなさい、 ということを暗に示しているわけです。

逆に外国人の立場からこの事実を捉えてみると、最低でも4万バーツの賃金を出して雇うということは 語学力のほかにその人が持っているスキルに対してもかなり高い注文を必要とされるということだと思っています。

そしてこの4万バーツという金額が来年(仏暦2547年)には最低6万バーツに引きあがると言う噂が巷で立っています。 ますます外国人に対して門戸を狭くしようとしているように感じられてきます。

そう言えば、8月終わりからタイ国内でのビザの延長申請料が従来の500バーツから一気にその4倍近い 1900バーツに値上げになりました。

これも、長期滞在して不法に就労している外国人を締め出そうというのが狙いだと思われます。

なお、フリーペーパーなどで、「日本人急募、給与3万バーツ」と書かれた求人募集をよく見ますが、 上記のとおり法律上は最低賃金が4万バーツとなっていることから考えて、書類上は給与を4万バーツ支給していることに しておいて、実は会社が1万バーツピンハネしていることは私でなくとも誰であっても容易に想像がつくことです。

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→ ワーキングパミット

タイで就労するためにはワーキングパミット(労働許可証)を保有していなければなりません。

今日は昨日の病院に引き続き、ラッチャダーピセークにある通称ONE STOP SERVICEと呼ばれる 労働局とイミグレが一緒になったビルに行ってきました。今日は、実際に申請する駐在員一年生の他に ウチの会社の顧問弁護士も一緒でしたので私がすることは何もないから楽チンかなとも思ったんですけどね。

まず、ワーキングパミットを取得するためには事前にタイ国の商用ビザ(正式にはノンイミグラント カテゴリーB)を 取得していなければなりません。自己の経歴書や会社からの推薦状などの審査があり、その商用ビザを 取るだけでもかなり面倒くさいですが、このワーキングパミットの取得はそれには比べ物にならないくらい 厄介です。

会社の決算書類や税金の納付書などなど全部で10種類以上もある書類がひとつでも欠けていると 申請は受け付けてもらえず、さらに雇用できる外国人の総数は会社の資本金にも関係してくることでして、 それらのことをすべて片付けるにはどうしても弁護士などの法律家に頼まざるを得ません。

無事にワーキングパミットを取得したら今度はすぐ隣に事務所を構えているイミグレの窓口に行って ビザの延長をしてきます。このときにもタイ語で書かれた書類の山を提示しなければならず、このあたりに なるといくら私がすることがないと言ってもいい加減に疲れてきます。隣に座って弁護士と役人のやり取りを 耳をダンボにして聞いているにもかかわらず、難しい専門用語ばかりで私にはさっぱりわかりません。

ふと弁護士の方を振り向くと役人にこれ以上ないと思えるほどの笑顔で受け答えするのに精一杯で とても私など相手にしてくれる余裕などなさそうです。

仮に弁護士なしで自分一人で申請に来たとすると、この小難しいやり取りでたぶん私はちんぷんかんぷん でしょう。建物内を行き来している人を見ていると、ほとんどの人が弁護士らしき人を連れてきているのが わかります。

逆に言えば、それほどまでにワーキングパミットを取得するのが難しいということかも知れません。

どこの国でもそうだと思いますが、外国人によって自国の国民の就労機会が奪われるのを喜ぶ国はないわけですから。

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→ タイ人の身分証明書

タイ人が携帯している身分証明書――タイ語の正式な名称を「バット・プラチャムトゥア・バット・プラチャーチョン」 略して「バット・プラチャーチョン」を更新するために、昨夜の列車で妻が帰省しました。

タイ人は満15歳になった時点で誰もが身分証明書を携帯しなければならず、またその有効期限が 満了する直前に自分の本籍のある郡役所に出向いて、その更新をしなければなりません。

最近ではコンピュータ化がすすみ磁気カード形式のものも出回っており、その場合は全国どこの郡役所でも 更新処理ができますが、私の妻の郡ではまだそこまでは進んでおらずその都度いちいち本籍地に帰らなければ ならないというわけです。

ただ例外的に身分証明書を携帯しなくてもよいとされている人がいて、例えば先生、軍人、警察官などが それにあたります。

それらの人は公務員ですので政府が発行した公務員としての身分証明書がそれに替わるということになります。

身分証明書とはいわば大人の証のようなものですから、満15歳つまり中学3年生になると誕生日が 早く到来した子から順に身分証明書を保有することになり、早く誕生日が来ないかなぁと誰もが待ち焦がれてるのよと 以前に妻が話してくれたことがあります。

なお身分証明書には本人の写真の他に以下のことが書いてあります。
  • 名前
  • 既婚、未婚別(女性の場合)
  • 本籍地
  • 宗教
  • 有効期限
既婚・未婚に関しては男性の場合は英語のMr.に相当する「ナーイ」という文字があるだけですが 女性の場合はMrs.に相当する「ナーング」、Missに相当する「ナーングサーォ」という文字が印刷されています。

よく結婚詐欺のニュースで「私は未婚です」と言われて騙されたという話を読みますが、それはこの身分証明書に 書かれているタイ語を見れば一発でわかります

もっとも入籍していない場合はいつまでも「ナーングサーォ」のままなんですけどね。(正確に言えば、入籍していなくても 実子が出来た段階で「ナーング」として届けなければなりません。

そういえば前々から思っていることなのですが、どうして日本には身分証明書がないんでしょうね。

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→ 90日レポート

タイにいる外国人、それが居住者であろうと旅行者であろうとにかかわらず連続して90日以上の日数にわたって 滞在している者は、入出国管理事務所に自分の居所を届けないといけないという規定があります。

(90日の間に一度でも他国に出国していれば、タイに再入国した日を1日目として再度カウントされる。 つまり、90日以内に出国していればこの話は全く関係がない。)

今日、たまたま会社に在籍する日本人について、次回の届日を調査していたところ私のパスポートに その届日が2004年2月19日であることを示す紙がホッチキスで止めてあるのが目に入りました。

これは何だろう。

これは、どうもまずいことになりそうな雰囲気です。

ワーキングパミットを取得したときに同時に滞在ビザの延長をして、ビザの有効期限が今年の11月になった ことに夢中になりすぎて、うっかりこの紙に書かれている日付を見落としてしまったようなのです。

どうしたものでしょうか、その紙に書かれている英語を読むと次のような意味のことを言っています。

「90日以上滞在する場合は、下段に明示された期限までに自分の現住所を届け出ること。 もしも違反した場合は、罰金基本料5000バーツの他に1日あたり200バーツの追加ペナルティーを科す。」

私の場合の期限とは先月の19日ですので、もう既に期限を20日も過ぎています。罰金の額を計算してみると 5000+200*20=9000バーツ にもなってしまいます。

もちろん、この届け出のことは会社で管理していますので会社が罰金を払ってくれるでしょうが、それにしても できれば罰金を払いたくありません。かと言って、このまま明日になれば罰金が200バーツ加算されるのです。

私は会社の弁護士に電話をして相談しました。

電話口の向こうで弁護士は何やら他の弁護士と相談しているような感じでしたが、その後で弁護士は こう言いました。

「本当は90日ごとに現住所を届けないと次回のワーキングパミット更新のときにモメる原因になるけど、 その前に一旦ラオスかマレーシアに出国しちゃえばいいんですよ。

規定で言えば確かに罰金なんだけど、国境の係官はそんなこと知らないから別に何にも言わないはずだ。 国境でパスポートを提出するときに、挟んである紙をはずして出せばそれで万事丸く解決だ、わはははは。」

果たしてこれは本当に弁護士のいう台詞かと思いながらも、確かにその弁護士の言葉にも一理あると思うのです。

日本人の感覚で物を考えると、決まりや法律は守らなければならない物であり、多少不自由であっても みんながそれを守ることに安寧秩序が保たれるということになります。

しかし、当地タイでは決してそうではなくって「多少不自由」程度であるならば、自分の都合を最優先して自分に都合の いいように決まりや法律を自分なりに解釈してしまうのです。あるいは、その法律が国のすみずみにまで人口に膾炙して いないという理由によるものかも知れません。

この場合、もしも私が今の段階で入出国管理事務所に行って90日レポートを提出すれば規定に違反しない代わりに 思い切り罰金を取られるでしょう。

ですが、国外に出る為に必ず通過しなければならない国境係官は、中央都市バンコクからはるか彼方の田舎に 住んでいるわけですのでその規定を熟知していないと推測できるのです。

いずれにせよ、今年の4月か5月に久しぶりに陸路でラオスまで行くつもりでしたので、そのときまでこの問題は保留することに しました。厳密に言えば規定違反ですが、まぁ別に大した問題ではありません。

そのときまで、イチかバチか賭けてみることにしました。仮に警察に尋問されても、その程度のことであれば切り返すくらいの 自信はあります。

私は一応ダメ押しの意味でノーングカイにある国境事務所に長距離電話をかけました。

「もしもし。ちょっとお尋ねしたいんですが外国人の90日レポートとはどういう意味でしょうか?」

電話を受けた係官は眠そうな声で

「90日レポート?今まで聞いたことがないが、今はバンコクではそういうのがあるのか?」

弁護士の言うとおりでした。やはりここは日本ではなくタイなのでした。

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→ タイの付加価値税

(本日夜のITVニュースが伝えたところによると、高圧電線のすぐ近くでタイ人男性が携帯電話を 使用していたところ、携帯電話のアンテナから過度の電流が流入し携帯電話が爆発しました。 タイ人男性は全身火傷を負い、病院に入院しました。)

日本に消費税が導入されているようにタイにも付加価値税(通称VAT、Value Added Tax)という 税金が存在し、その税率は7%と設定されています。

2004年4月1日から、日本では店頭表示価格として税込み金額を謳わなければならないとされたようですが、 当地タイではずっと以前から税込みの総額表示だけですので、いったいその金額のうちいくら分が税金なのかと いうことをレシートを読まないとよくわからないことがあります。

税込み表示にしてしまうと、いったい自分がいくら税金を払っているのかわからないなどという問題が浮かび上がって 来たようですが、実際のところ私もタイでのふだんの買い物の中で税金がいくらなのかということをほとんど 意識していません。私が知っているタイ人の中にはVATの存在すら知らない人も少なからずおり、まぁつまりは それほどまでに世間の話に疎くても充分に暮らせるだけののんびりした土地だと言うこともできるのですが。

タイでVATを別表示しているところと言ってまず筆頭に思い浮かぶのは高級ホテルと高級レストラン、 いずれも私がほとんど行かない場所ですので、私にとっても尚更意識することが少ないのが本当のところです。

私が泊るところといえば言い値がそのまま支払い値の宿ばかりでして、そもそも領収書など存在しない宿ですので 果たして自分が今VATを払ったのかどうかさえわかりません。または、屋台や安飯屋などにVATなどという考えは まったくありません。

タイの路地裏にはびこるように店を構えている屋台の多く、それらのほとんどは屋号すらない店ですので 毎年の事業税(法人税)すら払っていないだろうと推測できます。しかしそれでもタイの社会には波風ひとつ 立たずにそのことをとやかく言う人もいないのです。

日本での消費税のことを思うとき、タイのVATのいい加減さを嘆くと共に消費者にとってはどちらがいいのかなぁとも 考えたりします。

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