| HOME > 続・バンコクの日常(1) |
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このページは、以前にエッセイタイランドからの便りで記述したものを項目別に整理して加筆訂正したものです。 (仏暦2546年7月1日から仏暦2547年5月31日掲載分) |
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| 続・バンコクの日常(2) |
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| 続・バンコクの日常(3) |
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| 続・バンコクの日常(4) |
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| 続・バンコクの日常(5) |
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| ■ タイ語についての一考察 |
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最高学府のテキスト |
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今週から、タイで最難関と言われるチュラーロングコーン大学で実際に使われている比較音声学と
社会学のテキストを使っての授業が始まりました。 チュラーロングコーン大学というのは、タイの中での一番の最高学府でして実際にここの大学を出れば 将来は約束されたようなものという、言ってみれば日本の東大、京大レベルの大学です。 それほどまでに難しい大学のレベルなのに、この年にして必死でタイ語漬けになっている私に向かって 「たぶん、このテキストそんなに難しくはないから、辞書を引きながら読みこなしてごらんなさい。」と 先生の冷たい言葉です。 たとえ辞書を引いて言葉の意味がわかったとしても、特に社会学などは行間に隠れている文章の 真意をくみ取っていかねばなりません。書かれている文章の意味がわかっただけではまだ片手落ちで、 それを今のタイの現代社会が抱えるさまざまな病理と比較検討しながら読み進めていかなければ ならないわけです。 はるか昔──20年前に大学の教養課程でかじった社会学の授業を思い出します。 さらに、比較音声学の授業の中では、今ではまったくの古語になってしまったインドのサンスクリット語や パーリー語の発音が出てきて、ますます頭を抱えてしまっています。普通一般に話すタイ語の中の 難解な語彙だけでも精一杯だっていうのに、それ以外にさらに2つの言葉がでてきてもう頭の中は 大混乱しています。 しかし──。 大学の教科書を小脇に抱えて、まだ学校に行くには少し早い午前中に大学のキャンパスの木陰で 読むともなくページをめくっていると本当にタイの大学生になったような気分がするというのは 気分的になかなか爽快です。大学生は制服を着ているのに対し、私は着ていないっていう違いは ありますけどね。 明日は学校の授業がないので、終日、大学のキャンパスで大学生に混じって勉強するつもりです。 |
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サワッディーという言葉 |
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タイ語での正式な挨拶の言葉は「サワッディー」です。日本語での「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」、
朝でも昼でも夜でもすべてこの言葉です。 タイ語では สวัสดี と書きまして、これを文字通りにゆっくりと発音すると サワッディーという音になり、一部の本に書いてある「サワディー」(「ッ」がない)という発音は正しくありません。 昔、タイには挨拶の言葉がありませんでした。人と会った時には「どこ行くの?」「飯を食べたか?」と訊ねるのが 挨拶代わりであり、今でも田舎に行くとサワッディーという言葉の代わりにこう聞かれることがあります。 聞いている方も特に興味を持って聞いているわけではありませんので、答えるほうもそんなにマジメに答える 必要はありません。「ちょっと用事。」「うん、さっき食べたよ。」という感じです。 ですが、昔の王様(誰だったかちょっと記憶にありませんが)が挨拶の言葉がないようじゃ国としての面子を保つ ことができないとお考えになり、サワッディーという言葉をタイ王国の挨拶の言葉とする、とお決めになったのだそうです。 言葉の語源は何なのか──私なりに考えてみますとタイ語の「サワッディパァープ(安寧)」という言葉に由来するんじゃ ないかと思っています。国民みんなに安寧と秩序が訪れ、それを言葉にして相手に伝えることで国の繁栄を 願ったのじゃないかなぁと考えています。 友人間などではこのような畏まった挨拶はしませんが、例えば毎朝、子供が学校に行くために家を出るときや 学校から帰ってきたとき、または私の場合であてはめて考えてみると毎回の授業が始まるときと終わるとき、 ワイをしながらサワッディーと言います。 タイに来て今まで何回ワイをしながらこの挨拶をしてきたかわかりませんが、そのつど新鮮な気持ちに包まれています。 余談ですが、日本で販売されているトイレの芳香剤の「トイレにサワデー、さわやかサワデー」は、この「サワッディー」を 語源にしています。 |
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全過程を修了 |
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タイ語を勉強し始めて2年。今日の授業でその全過程を修了しました。 全くタイ語の読み書きができない状態から学校に通い始め、小学校の子供がそうするように 英語のアルファベットに相当するタイ語のコーカイから読み書きを習い、大学の論文を何とか読みこなせる ようになるまで2年の歳月を要したということです。 それなりに授業料もかなりの値段になりましたが、それは私にとってはさほど重要なことではなく、 それよりもむしろこのいかにも勉学に適していないバンコクという街で、2年もの間辛抱強く タイ語に向き合ってきた自分を正直に誇らしく思ってやりたい気持ちです。 ご存知のようにバンコクは交通環境が劣悪な状態で、例えば学校に行くことひとつを例にとってみても 何時何分の列車またはバスに乗れば行けるなどというものではありません。 排気ガスと埃にさらされながらいつ来るかわからないバスを道端で辛抱強く30分も1時間も待てる 忍耐力が必要です。お金を節約したかったから、スカイトレインにもほとんど乗りませんでした。 たぶん、この2年間のうちで学校の行き帰りにスカイトレインに乗ったのは10回程度しかないと 思います。 そんな私の学校生活でしたが、それから得る物が人一倍あったのも事実です。 バスに座ってテキストを開いているときに横から遠慮がちに覗き込むようにして私に話しかけてきて くれたタイ人は一人や二人ではありませんでした。バス停でバスを待っている時にバスの行き先を 何度訊ねられたかわかりません。 タイ語しか通じない環境の中のアパートに住み、家の中でもタイ語、家の外でもタイ語、 そして学校でもタイ語しか使いませんでした。 今、私のアパートにはこの2年間で私がタイ語を書きに書きまくったノートが115冊あります。 自分でも呆れるほどにタイ語の単語を毎日毎日ノートに書いていましたが、これが私のタイ語の すべてだと思っています。 最後の授業が終わって校長のところに行ったら一枚の紙を渡され、以下のようなタイ語が 書いてありました。 「以下の物、(私の本名)は仏暦2544年11月27日から仏暦2546年10月22日の間、 当校においてタイ語の勉学にいそしみ、大学の政治社会学部卒業に相当する知識が あることを認める。(サイン)」 今日は満足感と充実感で最高の気分です。 |
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厄介なタイ語 |
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最近は会社で法律関係の文章を読んでいることが多いです。 その多くは日本でいう商法に相当する民商法典であったり、自分を含んでの労働者の雇用に関する労働法であったりと 直接に自分と関係のある法律であり、決して全部が理解できるわけではありませんが興味深い内容なのでおおよその ところであれば辞書を片手にふむふむと頷きながら読んでいます。 (書いてある内容も具体的な言葉を使って書いてあります。) しかし、これと反対に民法や刑法になると条文に出てくるタイ語が文法的にどう繋がっているのか、それすらも わからないことがほとんどになってしまい、たとえ辞書を引きながらであってもそれを解読することは極めて困難です。 その理由としてはタイ語の文章の構造にあるものだと思っています。 タイ語は名詞を修飾する修飾詞は必ず名詞の後ろにつきます。文中で名詞がたくさん列記してある場合など、 果たしてその修飾語がどの名詞を修飾しているのかをその文の前後を何度も読んで文意を大まかに把握して その条文を解釈していくのですが、考え方によってはどのような意味にもなってしまい、どうしてもわからないということが 多々あります。 いったい誰がこんな訳のわからんない文章を書いたんだと思いながら、会社の弁護士に何度も電話をかけて 「えーとですね――民法○○条の第△項って、どういう場合のことを言ってるんでしょうか?」 と聞いています。 弁護士から返ってきた言葉と自分が覚えている知識(一応、私に法学を教えてくれた先生は法学部の出身だった)と かなり違っていることも珍しくなく、これはひとえにタイ語の厄介さによるものだと思えてくるのです。 つまり、乱暴な言い方かも知れませんがタイ語には明確な文法というものが存在せず、その文章を書いた本人しか その文章の正確な意味がわからないということです。 仮にこうだと仮定すると、例えばイミグレの係官によって言うことが違うですとかひとつの法律が広く人口に膾炙していないとか、 そういった種々のタイっぽい現象がそれとなく理解できてきます。 |
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タイ語のカタカナ表記 |
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特にタイ語の地名を日本語表記する際に迷うことなのですが、できるだけ原音とタイ語の綴りに忠実になるように
カタカナ表記しています。(タイ語を英語表記に直してからの、英字の綴りのことではありません。) もっともタイ語に限らず外国語の音を日本語表記すること自体無理がある話なのは百も承知ではあるものの、 やはり私としてはそこのところに非常にこだわります。 例えば紹介本によく記載されている「スクンビット」という通りの名前。タイ語の発音通りに表記すると スクムウィットになります。「ン」ではなく「ム」(正確には子音のm)そして「ビ」ではなく「ウィ」です。 どうして「ビ」になってしまうのか―― たぶんそれは、英語表記した際のsukhumvitから来たviの日本語表記だと思っていますが、 明らかに間違いだと考えます。そもそもviという音を表現するのであれば、「ビ」ではなく「ヴィ」でなければなりません。 さらにもっとわからないのは、スリウォン通りという記述。これは歓楽街で有名なパッポンやタニヤに交差する大通りのことですが 正確に表記するとスリウォンではなくてスラウォングです。バンコク市内で発行されているフリーペーパーでさえも この間違った表記により地図中にカタカナで振り仮名を入れていますので間違った母音を書いたり、おしまいの子音 である「グ」を勝手に取ってしまってウソを書くなと文句のひとつも言いたくなります。 もちろんタイ語の綴りを一朝一夕に読むことなど不可能なのはわかっていますが、ガイドブックや紹介本に記載されている 地図上の言葉を頼りに道を探したり人に道を訊ねたりする人のために、少なくともタイ語の発音にできるだけ 忠実になって日本語表記してほしいものだと常日頃から考えています。 スクンビットだとかスリウォンだとか、その言葉でタイ人に訊ねてもまず通じません。かと言って先に私が述べた 言葉でもそれを棒読みしたのではまず通じませんが、少しは正確な発音になります。 間違いだらけの日本語表記にうんざり気味の私です。 |
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タイ語と英語 |
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タイの会社で働く際にタイ語と英語のうちどちらが必要かと言う質問をよく受けます。 例えば英語はビジネスレベルにできるけれどタイ語は挨拶程度、逆にタイ語なら怖いものなしだけれど 英会話ができないなどなど。 私の意見を端的に述べるとするならば、タイで働く際に英語の知識はほとんど必要ないということにつきます。 その代わり、読み書きを含んだタイ語の会話力が重要だと思っています。 もちろん、英語が必要でないといっても限度があり、最低でも高校卒業程度の英語力は要求されますが その程度であれば普通に大学を卒業している人であればおのずから知っていることです。(英検2級程度) それよりもむしろタイ語の方が大切です。いくら会社内での書類が英語で記述されており、それを英語で書かなければ いけないとは言え、まさか会社の同僚や後輩と世間話するのに英語を使うわけにはいきません。 そこでタイ語での会話ができないと、いつまでたってもタイ人スタッフからは「よその国から来たお客さん」という目でしか 見てもらえずタイ人の中に打ち解けることができません。 あるいは私の経験から申しますと、仕事に関する話をする場合においても英語で話すよりもタイ語で話したほうが 的確な答えが返ってきます。それは、言うまでもなくタイ人にとっての母国語はタイ語だからです。 また別の見方をすると、業務中にタイ語の文章を読む機会が思った以上にあります。例えば、自分の所得税源泉の用紙、 自分の社会保険加入の用紙、各種契約書。最低でも自分の所得税源泉の用紙くらいは自分で書けないといけないと 思っています。逆の言い方をすれば、それが(辞書を引きながらでも)書けるようになると、タイでの会社で働く際に 何の障害もなくなります。 ――と口では言うものの、やはり自分の意志をタイ語で相手に伝えるというのはこれはこれでなかなか骨がおれる ことだというのも私の本音です。 |
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翻訳ばかり |
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会社の株主総会が間近に迫り、会計事務所から届いた決算報告書の日本語訳に追われる毎日が
続いています。 決算報告書はタイ語の他に英語で書かれており、つまりは二ヶ国語での記述になっているわけですが 株主さんの中には日本在住の日本人の方もいらっしゃいますのでそれを日本語訳する必要があるのです。 本当のことを言えば別に私が訳さなくてもよく翻訳に出しちゃってもいいのですが、せっかくの機会だと思って タイ語の文章を読んでわからないところがあると英文を読みながら、時に辞書を引きながら毎日机に 向かっています。 一応日本にいたころは決算報告書の数値をそれなりに読むことができ、勘定科目もほとんどその意味を 詳しくわかったいたつもりなのに、実際のタイ会計または英文会計の書類を読むと、果たしてこの単語は 日本語でいう勘定科目の何に該当するのか――その前後の補足説明を読みながら頭の中で推測するのですが 独特の表現方法が多々に現れており、または業界独特の勘定科目があったりして辞書の中にも その単語が見当たらないということがよくあり、翻訳は遅々として進みません。 やはりこんなことなら翻訳に出せばよかったかなぁ――と思いながら今日も一日机の上に辞書を 広げていました。 余談ですが、バンコク市内で翻訳に出した場合、日本語・英語間の翻訳料金はA41枚で850B程度、 日本語・タイ語間の翻訳はそれよりも少し安くて650バーツ程度が相場のようです。 |
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大学前の書店で |
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昨日のエッセイで会計学士云々と述べました。 一度、そのようなことが頭に思い浮かぶと 実際にはまだ先のことだと思うものの、商学部の授業内容とは果たしてどんなものだろうかということが 頭から離れません。今日は、午後から市内某大学前にある書店まで大学の教科書を見に行きました。 一般にかどうかわかりませんが、タイの大学生(その多くは女子学生であるが)、大学の正規の教科書を 買わずに、もっと安い価格で販売されているターム(学期)ごとに分冊化された教科書のコピー本を テキストとして使っています。 本屋さんに行くと、どの科目の本であるかを記号で示した多数のコピー本が店頭に並んでいます。 ただ、すべてのコピー本の表紙がまったく同じデザインをしていますので、自分がほしい科目を店員に伝え 店員に探してもらわないといけませんけれど。 私も店員に訊ねて会計学のテキストを探してもらいました。手にとって中をぱらぱらと読んでみた感じでは 私でも十分に理解できる内容です。一応、日本にいた頃はコンピュータ関係の会社で財務会計の ソフトの設計をしていたこともありますのでそれなりに会計がわかり、そんな私の頭程度の知識であっても 仮に入学したとしたら何とか授業に付いていけそうです。 ただ、私にとって難解なのはタイの税務関係の知識です。いくら毎日仕事で携わっているとはいえ、 その理論の細かいところまでは無知に等しい状態ですので、表現されている言葉が厄介であることを 含めて相当に手ごたえがありそうな感じです。でも、まぁそのあたりが面白そうな感じがしないでもありません。 今日は約1時間くらいかけてゆっくりと関連するテキストを立ち読みし、たまたま見つけた文学部のテキストのうち タイ語の音声学のテキストを買いました。 帰りにバス停近くにあったマックにより、階下に通りを見下ろしながらサバーイサバーイでたった今買ったばかりの テキストを少し読んで帰ってきました。 |
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| ■ タイ人についての一考察 |
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バナナの木の中で |
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私とエー、そしてエーの妹が乗った乗合トラックがエーの村はずれに着いたのは、
陽が少し傾きかけたとはいえ、まだうだるような真昼の暑さが残っている少し遅い昼下がりだった。 この村に外国人がたずねてくることなど初めてのことで、荷台に乗っている私の姿を村の子供たちが 何か怖いものでもみるような眼差しで見つめているのが手にとるようにわかる。 トラックがエーの家の前に横付けされると、私とエーの結婚式の準備をしてくれていた村の人々が いっせいにその手を休め走りよってきて、トラックのまわりを取り囲むようにして私の来訪を歓迎してくれた。 タイ古来の造りである高床式の家に荷物を置き、休む間もなく家の長老に呼ばれる。 昔から、家の子供が街から帰ってきたときになどにしてくれるように、これから先の私たちの 幸せを願って私の手首に麻で編んだ紐を巻いてくれる。長老だけでなく、親族のみんながそうしてくれる ものだから、私とエーの手首は巻いてもらった麻のひもでいっぱいになってしまった。 ――今回、私がエーの郷里に赴いたのは、そこでエーと結婚式を挙げるためであった。 この村出身の一人の娘が外国人と結婚するにあたり、その話はまたたく間に村中に知れ渡ったようで 夜、エーの家の庭で行った披露宴には、村長、市議会議員、学校の校長、そして先生といった 村の関係者ばかりでなく、エーの親族のほとんど全員であろうと思われる約50人の人達、 家の近所の顔見知りの人達、村の子供みんなが私たちに歓迎のことばをはなむけとしてくれ、 私たちはそれら一人一人に丁寧に合掌礼で答えた。 私たちはそれぞれバンコクで作った、タイの正装と呼ぶにふさわしい衣装を来た。 そして、テーブルに並んだイサーン料理は、日本の披露宴の料理に比べたらとても比べ物にならないほどに 質素すぎるものだけれど、私がこの日のために買った豚1頭を丸焼きにし、そしてテーブルにはきれいに 花が並べられ、バナナの木が林立する中で私たちの披露宴が始まった。 夜もふけ、蛙の鳴き声があたり一面にいっそう響き渡る頃、私が壇上にあがってスピーチをすることになる。 スピーチと言っても、ここはタイ、はたしてどんな挨拶をすればいいのかとっさには皆目見当がつかず 少しの間考えたが、今まで覚えたタイ語を頭の中でひっくり返すようにして挨拶の言葉を探し、 みんなが興味津々とした優しい笑顔で見守る中、エーと一緒に壇上に上がった。 「お集まりいただきました村のみなさん、私は生まれて以来今日ほど自分のことを誇り高く思ったことは 一度もありませんでした。私がこの世に生を受け、この村出身のエーとめぐり合い、そして、明日の朝、 夫婦の契りを交わし、村の皆さんのお力によりこのような素晴らしい宴を開いて祝福していただけたことに あたって、森羅万象の何事にもかえることのできない喜びを胸に抱いています。 私は皆さんご存知の通り日本人です。日本という国はタイから6000キロの遥か彼方にあります。 私は自分を育ててくれた日本と言う国、そして両親に支えられてこの村にエーを嫁として迎えるべく この村にやってきました。日本人としての誇り高き心をいつまでも決して忘れることなく、タイ人である エーと一緒に暮らして行きます。」 私がここまで話し終わりふとエーの顔を見ると、どうも私がいままで一度もこのような丁寧な言葉で 話をするところなど見たこともないと言う表情を私に投げかけているのがわかった。 この日、私は久しぶりに酔った。しかし、それは心地よい酔いだった。 ふと、頭の片隅で武田鉄也の「思えば遠くに来たもんだ」という歌が浮かんだ。歌詞の細かい所までは 今となっては忘れてしまったが、私が昔学生時代に好きだった歌である。 思えば遠くに来たもんだ。 私は酔いを覚ますために席を立ち、バナナの木が茂る夜の闇に向かってそのことばを一人呟いてみた。 私のその言葉は蛙の鳴き声にかき消されるように闇の中に吸い込まれていった。 ――結婚式の当日、私とエーが正装して庭に出て行ったら、もう僧が5人来ていた。 タイでの結婚式は新郎新婦による僧への托鉢により始まる。私たちが揃って僧にワイをし、 僧が持っている器(バート)に食べ物を置く。昨夜の披露宴のうちから、エーの母親たちが 私たちの代わりに作ってくれておいたものである。 そして、5人の僧によるパーリー語の祝辞が述べられ、その間私たちは僧の前に座って 頭をたれてずっとワイの姿勢でいる。それが終わると、日本の三々九度にあたる献水が行われる。 これはタイの正月に見られるように、水を相手に掛けて相手の幸せを末永く願うというタイの仏教の 教えである。水は万物の営みの元となる教えの言葉とおり、私たちは一段と頭を低くして、 ちょうど日本の神道のお祓いのような仕草をする僧に水を振り掛けてもらう。 さらに、私の左手とエーの右手を重ね合わせ、僧は持っているほら貝の中に溜まった水を そこにちょうど水がしたたり落ちるように私たちの手に掛ける。これにより私たちは夫婦の契りを交わる のである。 僧の前での婚礼の儀がここまでなのであるが、まだまだ式は延々と続く。 次は「嫁取り」と呼ばれるもので、私が持参した結納のお金と金(きん)を村中に披露すべく それら2つの物を金色の器に入れ、さらに村の男たちが私の周りを取り囲みみんなで嬌声を上げながら 行列となって村の中を練り歩くのである。一方の新婦は、行列には加わらず家の敷地内で 正座してじっと私たちの行列が家に入ってくるのを待つ。 時間にして小1時間くらいだっただろうか。家の前で今か今かと行列の到着を待っていた村の 子供がひときわ大きな声をあげ、行列の到着を新婦に知らせる。すると、今度は新婦が、私が 家の敷地内に入れないように家の門を閉めてしまう。私が新婦のもとに行くためには、門の近くにいる 村人にいくばくかのお金を渡さないとと通れないのである。これもタイの昔からの慣わしである。 そして、無事に私が新婦と対面できると、村の長老により結納金の額と金(きん)の重さが 村人に告げられる。これがあまりにも少ないと、新郎はケチだということになってしまうので、私は以前に こっそりとエーの両親には知られないように、この金額のことをエーに相談してあった。 そして、いよいよ式は佳境を迎える。 新婦が新郎に対して跪いてワイをしたあと、私が新婦の指に指輪をはめ、そして金(きん)のネックレスを 全部首に掛ける。それらを全部掛け終わったら、再度新婦が跪いて新郎にワイをする。 新婦が新郎に対してワイをするのはこのときだけである。新郎は新婦にワイで返礼するが、 手の高さは絶対に新婦よりも高い位置であってはならない。 私とエーは、シリモンコンと呼ばれる、紐でつなげた二つの花輪をそれそれの頭にかぶり、 長老が読みあげる婚礼の言葉を聞きながら長老にワイをする。長老の言葉の合間合間に、 周りでそれを見ている村の人々が掛け声にあわせて米と花びらを投げてくる。米の量は半端ではなく、 おそらく一升近い米が私たちに投げかけられた。 最後に、新郎新婦がそろってその場を離れ、仲人役の村長夫妻を一緒に床の間に行く。 床の間で、村長夫妻に対して新郎新婦が揃ってワイをし、もう一度今度は僧からではなく 村長夫妻から水を掛けてもらうことにより式のすべては終わった。 私は疲れのあまり、正装している服を脱ぐこともなくその場でエーといっしょにいびきをかきながら 夕方近くまで寝てしまった。 本当は次の日の朝まで新郎新婦はこの部屋から一切外に出てはいけないとされているが もはやそれは昔の式のしきたりであるらしく、私はエーといっしょに水を飲みに水がめのところまで 歩いていった。 翌朝、エーの父親に誘われて村の中を案内してもらった。 村の人が話す言葉は完全なタイ語ではなく、スワイ語と呼ばれる土地の言葉であったり、 ある人はカンボジア語を話したりして、その度にエーの両親が私にタイ語で通訳してくれた。 私たちが歩いていると、どこからともなく高床式の家の床下で談笑している村の男たちから 声を掛けられ、日本にいる私の両親のことを聞かれる。 「今は、父も会社を退職して――晴れの日は母と一緒に畑で野良仕事をしてるんだ。 日本には、マンゴスチンやドリアンやランブータンといった熱帯果実はないけれど、その代わりに 林檎とか苺といった、タイでは貴重な果物がたくさんあるよ。 え?ボクの家の畑は広いかって? そうだなぁ――。そんなに広くはないけれど、家でゴロゴロしてるよりはいいかなっていうことで、 猫の額ほどの小さな畑を借りてる。ボクも日本に行ったときには野良仕事を手伝うんだよ。 小さい頃から田舎で育ったから、ボクはこの村が本当に好きさ。」 それはお世辞でも社交辞令でもなかった。そして、行き交う人みんなに同じことを言わなければ ならなっかたが、私はさほどそれがつらいことではなかった。 テレビもなければ冷蔵庫もなく、あるのはバナナの木や椰子の木、そして自然の風だけといった 携帯電話の電波でさえも届かないタイの片田舎だけれど、道の両側に群生しているハイビスカスの 真っ赤な花を眺め歩きながら、私はどことなく郷里の信州の田舎町の様子を頭に思い描いていた。 遠くで畑を耕す水牛の鳴き声が聞こえ、ふとそちらの方を見やると妻が村の女達となにやら 嬉しそうに話しながら、近くの川で洗濯しているのが目にとまった。 土地の言葉なので何を話しているのか、その内容を頭に思い描くことはできなかったが、 私の姿を見つけると妻は洗濯している手を休め、はにかむような笑顔を私に見せた。 |
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姉の子供 |
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昨日、エーの姉の家で子供が生まれました。女の子だそうで、まだ私はその子に会っていませんが
エーは今日の昼過ぎに姉の家に行ってきたようです。 最近のバンコクでは子供を出産するのはほとんど病院で、というふうになってきましたが、タイの田舎に行くと いまだに子供を出産するのは自分の家で、という風習が残っています。 子供が生まれたとき、親はまず子供にあだ名(タイ語でチューレン)を与えます。これは一生の間、その子の 呼び名となるもので、ある意味では本名よりも意味を持ちます。 そして、できるだけ年が多い人、たとえばお爺さんやお婆さんなどに抱いてもらいます。 初めにその子を抱く人は、必ず年をとっていないといけません。つまり、その子が大きくなったときに 初めて抱いてもらった人のように長生きしてしほしい、という意味が込められています。 その後で、子供をお風呂に入れます。お風呂に入れる、という言い方は正しくないかも知れませんが たらいにお湯を張ってその中で赤ん坊の汚れている体を洗ってあげます。 このとき、そのお湯の中に金(きん)や宝石などの極めて価値の高い物を入れます。あいにくと家にない場合は 人から借りてきてでもそうします。これは、その赤ん坊が将来、お金持ちになって欲しいという願いからです。 それが終わると子供を寝かしつけます。男の子であれば、床(とこ)の下に鉛筆と紙を置きます。 女の子であれば同じく床の下に針と糸を置きます。 男の子の場合は勉学に秀でて欲しい、女の子の場合は裁縫に長け、家庭的な立派な女の子に なって欲しいという気持ちが込められています。 エーの姉の家で、このような昔から伝わる一種の風習を守ったのかどうか、私は興味を持って 今夜電話してみました。 そうしたら。 やはり、タイ東北部の人そのものという感じですべての慣わしをちゃんと済ませたと語ってくれました。 この騒音けたたましいバンコクの街で、そのような昔からの風習をきちんと守っているエーの姉を 誇らしく思ったのでした。 |
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母の日 |
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タイではもうすぐ母の日です。 8月12日が現王妃でいらっしゃるシリキット王妃の誕生日であり、タイ国民にとって王妃はあたかも 自分の母のように慕っている方ですので、昔から王妃誕生日=母の日という風趣が定着しています。 街の中を歩くと王妃の肖像写真を1階ロビー前に掲げ、タイの国旗と王妃の色である水色の旗を そろえて掲揚しているホテルですとかビルをよく目にします。 そして、同時に母の日ですので、自分の母に対してはカーネーションの花とメッセージカードを贈ります。 今、デパートの文具売り場に行くと色とりどりのメッセージカードが置いてあります。 今日、時間よりも少し前に学校に行ったら、私と仲のいい先生が教室の中にある机で何か一生懸命 書き物をしていました。 私が興味を持ってそちらを見やると、ちょうど今、母の日に贈るメッセージカードを書いているところでした。 私がそのまま横から覗き込んでいると、カードが全部で3枚あることに気が付きました。 「どうして3枚も書くんだろう?普通は1枚じゃないの?」 別に私でなくても、おそらくほとんどの人はこう考えるんじゃないかと思います。 私は先生に聞いてみました。 「あ、これ?私、お母さんは一人だけだけどね、私が勝手にお母さんみたいに思ってる人があと2人いるの。 別に育ての親だとかそういうわけじゃないけど、いつもいろいろしてくれてるから。」 と語ってくれました。 私はこの言葉にひどく感銘を受けました。 タイでは年長者に対して絶対の敬意を払うのが年少者の勤めでもあり、またタイ人の多くはそのような 環境の中で育っています。それがはたしてタイに根ざす小乗仏教の教えなのかどうか浅学な私では わかりませんが、すくなくともその考えが今でもタイ人の価値観の根底に流れる部分の多くを占めていると 思っています。 例えば、両親に手紙を書くときは「跪いて尊敬するお父さん、お母さんへ」という意味の出だしで書くのが 常識となっています。それほどまでに親、または年長者は絶対であるという意味です。 別にタイの母の日に合わせたつもりではないけれど、私ももうすぐ日本に行きます。 自分の母に何をしてあげようかな、などと思いを馳せています。 |
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あるアンケート |
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昼前、バイトに行くにはまだ少し時間があるので屋外にもテーブル席があるマクドナルドで
コーヒーを飲んでいました。 ふと気が付くと、手に紙を持ったタイ人が数人私に近づいてきます。また、私のことをタイ人に間違えて 保険か何かのアンケートに来たのかなぁなどと思っていましたが、どうも様子が違います。 「すみません、外国人の方ですよね?私達はバンコク大学の社会学部3年生の学生でして、 今、タイにいらっしゃっている外国人の方がタイ国について感じている意識調査をしています。 もし、お時間よろしければアンケートにご協力いただけませんでしょうか?」 このようなことを流暢な英語で話しかけてきました。 バイトに行くまでにはまだ1時間も時間があり、退屈しのぎにそれに答えることにしたのです。 最初は「あなたはタイにどのくらいいますか?」「タイに来た目的は何ですか?」という簡単な質問ですが だんだんと質問の内容も難しくなってきます。 「タイについてどう思いますか?」 「相手がタイ人であろうと外国人であろうと、タイ人が人と接するときは真心を持って接してると思う。 それは何も道を訊ねたりしたときのようなことではなく、昔から伝わるタイの礼儀作法、文化や伝統を 潜在的に誇りに思いながら他人を常に尊敬しているように感じられる。」 「あなたが今のタイに望むことはなんですか?」 「交通問題、大気汚染問題、環境問題などと言った現代の社会問題の数々を、政府だけでなく タイ国民が協力しあって解決する必要があると思う。国民に身近なところでは、特に田舎における 児童の就学率の低さ、貧困問題など、生活に直接的に関わる諸問題の解決についてもっともっと 手を取り合っていくべきだ。」 どうも私が答えた答えはそこにいる学生がまったく予期していなかった答えのようで、私は前に学校で 習ったことをそのまま答えただけなんだけど、最後には写真まで撮影されて妙に感心されてしまいました。 それにしてもこれがタイではなくて日本だったら、外国人に対してこのようなアンケートを実施するのかな。 観光国タイと言えばそれまでなのですが、外国人に対して垣根が低い国であることを改めて感じたのでした。 |
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歩く距離 |
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つい先日、私が乗った飛行機がドンムアング空港に着いたとき、ちょうどその頃は空港内の駐機場が一杯
だったようで、 「ただいま、空港が混雑しておりますので皆様をバスにて空港建物までお送り致します。」 という旨のアナウンスがありました。 つまり、飛行機に蛇腹式の降り口が横付けされるのではなく、タラップを降りてバスに乗りなさいということなのです。 これを聞いて、たまたま私の隣に座っていたタイ人が言いました。 「ラッキー!」 最初、私はこのタイ人が言った「ラッキー」という言葉の意味がわからずに少しの間考えました。どうしてバスだと ラッキーなんだろう?バスに乗らないといけないなんて面倒くさくてたまりません。 しかし、今一度よく考えてみるといかにもタイ人らしい考え方だと思いました。 つまり、バスに乗ればバスが空港建物に横付けされますので歩く距離が極端に短くてすむのです。 蛇腹を通った場合、空港建物から桟橋のように伸びている通路を通って延々と歩かなければなりませんので 結構疲れます。 歩くこと、疲れることを極端に嫌がるタイ人らしい発想に、飛行機の中にいる私は頭をかかえるのでした。 思い出してみると、タイ人はバスで1区間の距離でも平気でバスに乗ります。 私も日本にいるときはバス代がもったいないしバスを待つのも面倒くさいから、それくらいの距離ならばむしろ歩きますが ここバンコクでは周りのタイ人に感化されて1区間でも何の躊躇もなくバスに乗っています。 でも、さすがにその距離ではエアコンバスには乗りませんけどね。 私の知人のバイクタクシーの運ちゃんなどは50m先にある雑貨屋にタバコを買いに行くのでさえも バイクに乗っていきます。 そんなに歩くのが嫌?と聞きたいほどですが、さすがにこのとろけるような暑さの国では仕方のないことかも 知れません。 タイ人が特に苦痛を感じることなく平気で歩ける距離ってどれくらいなんでしょう。 それはおそらく100m以下だと思っています。 |
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いい役人と悪い役人 |
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極めて個人的に言ってしまえば、いい役人とは「お金で言うことを聞く役人」であり、それに対して
悪い役人とは「人にお金をせびる役人」だと思っています。 例えば、タイでは道路を横断しようとするときに今現在自分がいる場所から500m以内に歩道橋がある場合、 たとえ遠回りであってもその歩道橋を渡らないといけないという規則があります。 確かに道路上を横切って走る車の間を縫って横断するのは危険極まりないことですのでタイ人はみんな そうしているということは全然なく、車の通行の切れ目を道端で待ちつづけます。 そこに運悪く一人の警官が来て、横断し終わったところで「ここは横断禁止。罰金200B払いなさい。」と 言ったとします。 規則を侵したのは紛れもない本人ですから弁解の余地はありません。しかし、ここで罰金を支払うのに 警官の言い値である定価で払っていたのではたまりません。 「え?あ、あ、あ、知りませんでした。今度からはちゃんとここでは歩道橋を渡りますから、なんとかこれで 見逃してくださいよ。」と手はしっかりとポケットの中の20バーツ札を探っています。 本人にも非があるのですからこの20バーツでチャラにされるわけですので利益があり、警官にとってもポケットに入るお金 ですので同じように利益があります。 かくして双方に利益が生まれて、事は丸く収まるのです。警官にワイロまがいの小額の金を渡すことも 世渡りのひとつです。 ですが、物をせびる役人はいけません。こちらが何も悪いことをしていないのに何かとイチャモンをつけて ワイロを要求するのです。 例えば、車が交差点で右折しようとするときにほんの少しだけ車の先端が反対車線にはみ出していたなどと 難癖をつけてくるのです。 月末の時期、もう少しで給料日と言う頃になるとバンコクの街のそこいら中で見られる光景です。 |
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もうすぐ新しい同居人 |
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近く、妻の妹がバンコクに上京してるくることになりました。 彼女はずっと田舎育ちで、まだ一度もバンコクに来たことがなくバンコクで仕事を探して自分のアパートを 決めるまでの間、たぶん1か月弱くらい、私の家に居候します。 タイではこのように兄弟姉妹や親類を頼って上京してくることがごく普通でして、いきなり右も左もわからない バンコクでアパートで一人暮らしを始めるよりもずっと理にかなったやり方だと思っています。 日本では普通、子供が学校に行く頃になると自分の部屋を与えられそこで何もかも自分で考えながら育ち、 その中で独立ということを学んでいきます。一方、タイではずっと兄弟姉妹を一緒くたにして育てられ 自分の周りには常に誰かがいる、つまり人と一緒にいるという環境のもとで大きくなります。 したがって、田舎からでてきていきなりの一人暮らしは日本人が東京に出てきて一人暮らしを始めることに比べて その孤独感によりとてつもなく大きな負担になるものだと私は考えます。 そんなことを思いながら「1か月位、妹がここにいっしょにいるけどいいでしょ?」と問い掛ける妻に対して 「うん、別にいいよ。だって、一人でアパート暮らしじゃ寂しいだろうから。」と答えたのでした。 しかし、改めてよく考えてみるとバンコクというのはこのような地方出身者の集まりであり、もしかしたらそれは 砂上の楼閣、または言葉を代えれば蜃気楼にも似た浮世の都市なのかも知れません。 子供のときからずっと自然がいっぱいの田舎で育ち、ある時一人上京してきて、ある者は親孝行するために、 またある者は自分を磨くために、この人口1000万のメガロポリスの人ごみに埋もれていきます。 もちろん、かく言う私もその一人かもしれません。そして、一外国人である私がこんなことを考えてみても 始まらないことはわかっていますが、やはりバンコクというのはもはや住む街じゃないのかも知れないな、 などとも一人頷いてみたりもしています。 今朝、妻が朝早くに家を出て列車で11時間の距離にある田舎まで妹を迎えに行きました。 そして私は今日の夕方、妹のバンコクでの成功を願って線香と花輪を持ってワット・ベンチャマポピットに タムブンに行ってきました。 |
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要領が悪いタイ人 |
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妻が田舎に行くときはいつも私はファランポーング駅まで送っていきます。 どうもタイ人というのは荷物がたくさんないと旅をした気になれない性格のようで、お菓子やら果物やら、 田舎でも売っていそうなものを鞄に入りきれないほどに買ってきますので、それを駅まで運んでいくのが 私の役目です。 そして、いつもそうなのですがタイ人は事前に切符を買っておくことができない国民性です。 言い換えれば段取りが悪いということになるのでしょうか、その日に列車に乗るのだから私の家から バスで15分の距離にある駅まで事前に切符を買いに行けばいいだけなのですがそれができません。 これはウチの妻に限ったことではでなく、学校にいるタイ人の先生に聞いても同じ結果です。 頭ではわかっているんだけど、それがなかなか行動にならないのです。 昨日の朝も駅に着いたら切符売り場の前は行列で、発車時刻まではあと1時間です。 妻が言うには3等のエアコン車に乗りたかったようですが売り切れてしまって、3等エアコンなし車で しかもトイレの近くの席しか空いてないというのです。 だから、ボクが言ったじゃない、先に買っておいたほうがいいよって。 もう、ほんとに要領がわるいんだからぁ。 他にもこんな話があります。 学校の先生がシンガポールに遊びに行くというので飛行機のチケットを予約して鞄に荷物を全部つめて、そして校長に2週間の休みをもらいに行きました。 しかし、ちょうどたまたま生徒の数が多い時期で校長は2週間の休みを認めず、その先生はシンガポールに 行けませんでした。 「だってね、鞄に荷物まで詰めてチケットも予約しちゃったのよ!今さらダメだって言われても困っちゃうじゃないっ!」 と愚痴をこぼしている先生の横で、 「あのね、物事には順序っていうのがあるの。まず、校長に休みを乞うのが先じゃないの?」 とは、タイ人と一緒に毎日寝起きする中でタイ人の性格を知りすぎている私にとって とても口にできない言葉でした。 |
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正しい言葉を伝えるのは |
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いつも日本語を教えるとき、私は生徒に常にきちんとした日本語を話すように指導しています。 きちんとした日本語とは主語、述語が日本語の文法通りの形で決められたところに存在して、 多少の話し言葉であってもいいけれどいわゆる10代の子供が話しているくだけた日本語ではない という意味です。 例えば私が「今朝、何を食べたの?」と聞きます。 すると生徒からは 「今朝、私はパン、ゆで卵、肉を食べました。そして、そのほかにコーヒーをカップ1杯飲みました。」 という答えが返ってきます。 私としてはそこまで丁寧な言葉でなくともいいと思っているのが本心なのですが、生徒なりに 習った日本語の単語を頭の中で組み立ててそのように答えてくるのでしょう。 昨今、日本語の乱れが日本のマスコミで取り沙汰されている中、こういった正しい日本語を話せるのは 日本人ではなくむしろ外国人ではなかろうかという懸念すらあります。 そして、それがある意味において国際社会の皮肉でもあると思っています。 決して今の日本の子供のような 「パンとか、ゆで卵とか、肉とか、コーヒーとかです。」という答えは返ってきません。 (タイ語には、この「とか」にあたる言葉がないので、なおさら私にとって耳ざわりに感じてしまいます。) (特に、併記した単語のうち、最後の単語に「とか」を付けるのは文法的におかしい。) 仮に私が日本語を教えている際にそのような珍奇な日本語を話したとすると、 「教科書には、そういう言い方が載っていませんが、それも正しいのですか?」 と、必ず生徒に突っ込まれます。 生徒に日本語を教えながら、今の日本で話されている日本語の乱れに思いを馳せるのでした。 |
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あるタイ人の話 |
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昼前、マーブンクローング近くにある馴染みの屋台に行こうと思い、通りにかかる歩道橋の階段を下りた所で 「おーい、トムヤム、どこ行くの?」 と声をかけられました。こんな所で誰が呼んでるんだ?と思って声のした方を振り返ると、 そこにはトゥンがいました。 トゥンと私は2年来の知り合いで別に友人と言うほどの関係ではないのですが、私がまだバンコクに 居を構える前の旅行者の時からの知り合いです。彼はバイクタクシーの運転手で、一応その辺を 拠点にして営業しているものの、幸いにも客が多いのでしょうか、いつも私がそこを通るときには 顔を合わせることがなく、今日彼と会ったのはたぶん半年ぶり以上だと思います。 「おいおい、知らないうちにすっかりタイ語がうまくなったじゃないか。今も学校に行ってるのか? あ、そうそう、嫁さんとは結婚したのか?たしか、俺と同じ県の出身だったんじゃないか?」 ちょっと訛ったタイ語で半年分の質問を一気に私に投げかけてきて、私は空腹なのを我慢して 彼の質問に丁寧にひとつずつ答えなければなりませんでしたが、それが不思議と億劫では ありませんでした。 彼は、最近はバイクタクシーの営業権にかかる諸物価が高騰したり、雨期の終わりに近づいて 雨に降られて商売上がったりだよだとか――半年振りの再開を祝して彼と一緒に屋台で飯を 食べながら、彼はそんなことを問わず語りに私に話してくれます。 私は彼の話にうんうんと頷きながら、彼にとってもバンコクでの暮らしはなかなかそれなりに 大変なんだなぁと思わずにはいられませんでした。 今度、彼と会えるのはいつのことになるんだろう。人口1000万人を抱えるこの大都会バンコクで 私とトゥンが出会ったのが一つの縁であるならば、その縁をいつまでも大切にしたいと思うのです。 午後から私が行かなければならなかったプラトゥーナームまでタダでバイクの後に乗せてくれ、 彼の背中を見ながら「俺も頑張らなきゃな。」とつぶやいてみました。 |
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タイの兵隊さん |
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タイには徴兵制があります。 男のタイ国民は原則として誰でも18歳の徴兵年齢に達したとき、自分の戸籍がある県の役所から 届いた徴兵検査の召集にしたがって徴兵検査に行かなければなりません。 上記で「原則として」と書いたのは、例えば徴兵検査の時にたまたま出家しており僧であった場合や 刑務所に服役したいたなどという場合がこれに該当し、その場合は後日改めて徴兵検査に出向きます。 なお、オカマは兵隊さんになることができません。 街を歩いていると、その徴兵検査に合格した兵隊さん、または自らの志願による兵隊さんを時々 見かけます。 スラッとした体に体にピタッとした制服を着て、まっすぐに背筋を伸ばしてバスを待っている様子は 男である私から見てもたいへん凛々しく映ります。手にはアタッシュケースに似た黒い小ぶりの鞄を持ち 周りの猥雑さとは一切関係ないとでもいうように気をつけの姿勢を崩しません。 バスが来ても、我先に席を取ろうと乗り口に蟻のように殺到する一般人をやしすごしてから一番最後に 乗ります。 バスの中で席が十分に空いているときは座ることが許されますが、一人でも立っている人がいる場合は 兵隊さんは座ることを許されません。 普段の生活の中で私から見ての兵隊さんの印象はその程度にしか過ぎませんが、そういう兵隊さんを 常に見ている普通のタイ人にとっては、兵隊さんとは大変崇高な職業のひとつです。 兵隊さんと警察とは共にタイ國内務省の管轄下にあり、警察はしばしばワイロ問題で新聞沙汰になるのに対し、 兵隊さんの世界ではそういう話を聞きません。私が知らないだけかも知れませんが、やはり国のために規律を 重視しなければ勤まらない役務ですので、仮にそれが事実だとすると十分にうなづけます。 なお、タイでは警察と兵隊さんの世界とは極めて仲が悪いです。 |
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人懐っこいタイ人 |
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近く日本から知人が来るので、少し前に知人が宿泊する宿に部屋の空き状況を聞きに行きました。 その宿に入っていくのは約半年ぶりでしたが、そこは以前に私住み着いていたような宿ですので フロントの女の子ともツーカーでして、私の顔を見るなり人懐っこい笑顔を私に向けて「元気だった?」 と聞いてくれます。 考えてみると、私には結構顔なじみの屋台なり宿なりがあります。 私がいつもアイスコーヒーしか頼まないので、私が店の前に立つだけでアイスコーヒーを作り始めてしまう 飲み物屋台。毎朝、ウサギの餌を買いに行く八百屋の屋台。家の近くの寿司屋台とから揚げ屋台。 デジカメ写真をプリントしてもらっているDPE屋。家に妻がいないときに世間話をしにいく近所の飯屋。 何時間店先の椅子に座っていても文句のひとつも言われない、定宿のあるソイにある飯屋の屋台。 私の無理を聞いていつもギリギリの予算で航空券を売ってくれる旅行代理店。 どこの店も、私のことをタイ語を話すおかしな日本人と思ってるようで結構すぐに顔を覚えられて しまうんです。タイに来た時、友達100人できるかな?なんて冗談半分に思っていたこともありますが、 さすが100人までは行かないまでもそういう人や知人友人を含めて50人以上の知り合いがいます。 それらみんなが大変人懐っこく、異邦人である私を自分達のタイ社会の中の一員として認めてくれ、 そして私をその中に入れてくれ自分達の仲間だと思ってくれる――そのことを私は誇りに思っています。 タイはある意味で、いくら開発途上の国であるといえども観光立国ですので外貨の獲得ということが ひとつの大きな政策であり、外国人が町を闊歩していて外国人慣れしているということを差し引いて考えても タイ人はやはり人懐っこい民族であると認識を隠しえません。 その人懐っこさに惹かれた一人が私であり、その私が身を持って感じたタイ人気質を多くの方に感じ取って いただきたく今日もこのエッセイを書いています。 |
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タイ人の記憶力 |
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時々、ひょっとしたらタイ人は私なんかよりもずっと記憶力がいいんじゃないかと思うことがあります。 例えば、私が妻に 「ねぇ、この前聞いてたマーシャのカセット、どこにしまった?」 と訊ねると、 「あぁ、あれね。去年の終りにオーンヌットの市場で79バーツで買ったカセットのことでしょ? 今、妹の家に置いてあるよ。」 などと、瞬時のうちにいつ、どこで、いくらで買ったということを思い出せるのです。 あるいは、私が 「この服、いくらで買ったんだっけ?」と値段を訊ねても、すぐに 「99バーツでしょ!覚えてないの?」 と逆にこっちが聞き返されてしまいます。 私個人のことでなくても、公共の場でも同じ事がいえます。 例えば、バスの車内で座席が全部埋まっていて立っている人が10人程度であると仮定します。そこそこに混雑している 乗車率だと思いますがバスの車掌はたった今乗ってきたばかりの人を即座に見分け、 間違うことなくその人の前で立ち止まりバス代を徴収します。 (もっとも、これは客の方から先にバス代の小銭を握った腕を差し出すからかも知れませんが。) または、数回しか行ったことのない会社近くのジュース屋台で、以前よりも遅い時間に行ったりすると 「あれ?今日は来るのが遅いね。」 などと声をかけられ、もう既に顔を覚えられていたことに気づきます。 このような感じでタイ人と接していると、普段は何かにつけ要領の悪いタイ人にいらいらしたりするものの その反面でずばぬけて記憶力のいい人種ではないかと思えてきてしまいます。 ぼーっとしているときに何気なく人の顔を観察しているのか、あるいはまた人よりも安く物を買うことに執念を燃やす 人だから、買った値段をいつまででも覚えているのか、そういうことは横に置いておいて私にはとても 敵わない能力だと思っています。 それほどまでに記憶力がいいんだから、もう少し要領よく仕事すれば夕方になってバタバタ慌てなくても いいんだけど――そうは思うものの、それとこれとは別の話かも知れないと頭を抱えながらタイ人の仕事振りを 見守っています。 |
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私の部下 |
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仕事での私の立場上、私の下には全部で4人のタイ人の部下がいます。 彼女ら全員が座っている席が私の近くであるため、仕事時間中によく世間話をしますが人それぞれに 性格が違っていてみんなそれぞれタイ人としての個性に富んでいます。 (Nさん) 他の女の子全員と統括するマネージャで、チュラ大卒業の秀才女史。私より2歳年下。 英会話能力はずば抜けていてほとんどネイティブ並に話すことができる。タイ国民商法典についての 知識が深く、私が会計関係のことなどでわからないことがあるとき頼りになる存在。 (Kちゃん) 日本の言葉でいえば「わんぱく」な娘というところか。気が強く、自分の主義主張を曲げようとしないが 困ったことがあると私によく相談してくる、 はだしで会社内を歩き回っている。 (Tちゃん) 一番礼儀正しい女の子。私が、サインし終わった書類を持っていくとどんなときでも「コップン・カー」 とあいさつする。 何もすることがないと、机の引出しの中からお菓子を出してポリポリと食べている。 (Nちゃん) つい最近入社したばかりの子。責任感があっていつも落ち着いている。 面接のときに私が採用したいと思った子であり、実際にそのとおりでありてきぱきと仕事をこなしている。 こういう仲間4人の中で毎日会社で過ごしています。時には「どうしてそんな要領の悪いこと、してるの?」と 訊ねたくなるときもありますが、旨そうにお菓子や果物を食べている姿を見ていると 「まっ、いいか。別に今言わなくても――。」 とこっちもヘナヘナとなってしまい、結局のところはタイらしくうやむやになってしまうのでした。 |
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疑問のひとつ |
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今でもわからないことのひとつに、タイの女の子のファッションのセンスのことがあります。 タイは南国ですから女の子が着る服はどうしても派手なデザインが多くなります。派手というか セクシーといったほうがいいかも知れません。 そして、タイの女の子は概してスリムな体型をしています。もちろん全員がそうであるとは思いませんが 10人いれば5人以上の子が、男である私から見ればモデル並の痩せた体型なのです。 たんすにある妻の服を見てもそうであるように、彼女らが着る服は異様に小さく裁断されており、 特にその丈が短いのです。 すると、どうなるか。座って前かがみになったときや屋台の椅子に座ってご飯を食べているときなどに それが少しずり上がって背中が半分近く見えてしまい、さらにはお尻まで半分出かかってしまうのです。 それを気にしているかというと必ずしもそうではなく、中には服の裾を引っ張ったりしている子もいますが ほとんどの子はそんなのにはお構いなし。最初の頃は私もずいぶんと戸惑ったものです。 みんながみんなそうですので、ある日私は妻に聞いてみました。 「だって、服の作りがそうなってるんだからしょうがないじゃない」。 わかったようなわからないような答えが返ってきました。 タイでは、たとえ男であっても人前で服を脱いだりする習慣はありません。ましてや女であれば なおさらのことだと思っているのですが、こうした昨今のファッション文化の浸透によって、昔からの 風習が廃れつつあるのかも知れません。 妻と一緒に買い物に行き、棚に吊るされた洋服の前で嬉々としている妻の姿を見るにつけ 古風な私はそのようなことを思ってしまうのです。 |
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プールでの話 |
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一昨日、スワン・サヤームにあるプールに行った来たと書きました。 プールの雰囲気はどこかのリゾートっぽくできていて非の打ち所もないほどに満足できるのですが それに対してそこで泳いでいるのは、やはりタイ人だと思わざるを得ないことがあったのです。 それは何かと言いますと――。ウチの妻と妹がそうであったように、タイの女の子は下着の家から水着を着ちゃうのです。 タイ人が人前で裸になることを極端に嫌います。私にとって水着を着てプールに入ることが裸になることだとは とても思えませんが、タイ人にとっては必ずしもそうではないようです。 例えばビーチに行った時でもTシャツ姿のまま泳いでいるタイ人の姿をよく見かけますから、 私の考えが間違っているとも思えません。 妻などはいくら更衣室があるといってもそこで着替えるのに抵抗があるようでして、何と家から水着を着たままで 出かけました。そして泳ぎ終わって家に帰るときも、暑さのせいで半乾きになった水着の上からTシャツを着て そのまま水着を来たまま帰ってきました。 (バスの中はエアコンがガンガンに効いていてかなり寒かったようですが。) そして、もうひとつ。タイ人はやはり泳ぎが下手だということです。 もちろん例外もあるでしょうが、これだけ暑い国にいるにも関わらず私の妻の泳ぎはほとんど犬かきといっても 遜色のないくらいまでにお粗末なものです。まぁ、本人がサバーイで楽しんでいるのですからそれはそれで いいのでしょうが私の目には奇異に映ります。 小学校や中学校の時に水泳の授業はなかったのか、以前にそう聞いたことがありますが、そのときの答えは 「だって、学校にプールなんてないもん。川辺に住んでる子は泳ぎがうまいけど、あたしは泳げるほどに 大きな川が近くになかったもん。」 でした。 そういえば、これを書きながら思い出したことですが、妻の友人は子供の頃ウボン・ラーチャターニー県のある村に住んでいて、 村の端に国境の川であるメコン河があったため、メコン河を泳いで渡って隣国のラオスまで遊びに行っていたと言います。 タイ人にとっての水泳とは、結局はこのようなものなのかも知れません。 |
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PCの神様のようなタイ人 |
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私の会社のタイ人のようにメールに含まれる添付ファイルはそれがウイルスであろうとなかろうと
何が何でも開けてみないと気がすまない人がいるかと思うと、それとは逆に神様のようにPCを自由自在に
使いこなすタイ人もいます。 ここでいう「自由自在」というのはPCの知識の奥深いところまで、例えばC++で航空券予約オンラインシステムの 開発ができるなどということではなく、何語版のWindowsであろうと、そのOSの言語に関係なく使えるという意味において の話です。 私の会社で契約しているPCハードの修理屋さんがそれにあたります。彼は全然日本語の読み書きができないにも 関わらず、日本語PCのハード的な設定、メールやインターネットのソフト的な設定、ワードやエクセルというような 一般的なアプリの各種ユーザ設定などなど、小窓内のどこの欄にどういった項目を設定すればいいのかということを 熟知しています。言い換えると、一切の日本語を知らなくても日本語WindowsのPCをあたかもタイ語Windowsの ように操ることができるという意味です。 そして、仮にその結果として何かしらのエラーになったとしても、そのエラーの本文が読むことなく自分で憶測を立てて そのエラーに対処できてしまうのです。 私が必要に迫られてタイ語Windows内のタイ語Wordを操作するときなど、ダイアログボックスの中の設定項目を ひとつひとつ目で追っていかないととてもじゃないですが操作することはできません。そのことから考えると、私にとっては 言語を関係なしにPCを操作することができる彼が、まるで神様のように映ります。 彼に聞いてみると、やはりふだんの仕事の中で様々な言語のWindowsを操作しているうちに自然と覚えたことであり 別に大したことでも何でもないよなどと謙遜して笑っていました。 |
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タイ人のコンピュータスキル |
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毎日、会社でタイ人と接していると次第にタイ人のコンピュータスキルというものが
わかってきます。もちろん、これが平均的なものだとは思っていませんが、おおよそ
次のような傾向にあると思っています。 まず、プログラムの種類を問わずに「直感的に(短時間で)答えが出る操作が得意である」 ということ。例えば、Photoshopを使っての画像加工処理。私などはむしろそのような 画像関係の処理は苦手な分野であり、いつもかなりの時間を要して処理しているのですが、 タイ人にそれをやらせるとあっという間に仕上げてくれます。途中経過を一切考えることなく、 ある意味ではソフトの使い方さえ知っていれば画面と対話形式で処理できてしまうというような そういった直感に頼る処理に関してはタイ人の方が私よりも優れています。 それとは反対に理論で考えないといけないこと、例えばVisual Basicでプログラムを作ったり Accessでデータベースを構築したりする、つまり、すぐには答えが出ない処理、答えを出すまでに 様々な思考をしないといけない処理、それらに関してはタイ人は明らかに苦手だと思います。 毎日使っているエクセルに関しても、そのシート内に存在する行列の内容を、他のプログラムに 取り込むためにcsv形式にて格納して、他のプログラムでインポート処理を施すですとか、 あるいはエクセルでの操作を簡略化するためにエクセルマクロやエクセルVBAでちょこちょこっと 処理を簡略する手法を編み出すとかそういうことがまったくできません。 つまり、今の不都合を消去するために何かをクリエイトする(創造する)センス、または そのために必要なことについての思考をめぐらすセンスに極めて欠けていると思うのです。 私が「どうしてもっといい方法を考えないの?」と訊ねれば、返ってくる答えは決まっています。 「だって、今迄ずっとこの方法でやってきたんだもん。」 頭をかかえてしまう問題だとは知りながらも、彼の言うようにこれで波風立たずに過ごして来れたのだから それはそれでいいのかも知れません。ただ、一応元システムエンジニアの私としてはもっといい方法が あるんだよと一言言いたい親心にかられるのです。 |
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| ■ タイ随所についての一考察 |
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カーォサーン通り |
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夕方、エーが帰ってくるのを待ってから二人でカーォサーン通りに遊びに行ってきました。 一般にタイの紹介本などでは、カオサン通りというように記述されていますがタイ語の発音に忠実に 書くとカオサーン通りと記述しないといけません。カオサーンとは「精米してある米」という意味です。 この通りは世界各国からタイに集まるバックパッカーの間では誰一人として名前を知らない者はいないと いうほどの有名な通りで、全長500mそこそこの通りの両脇には旅行者相手の旅行代理店、1泊100バーツ (300円)程度のゲストハウスなどが競うように立ち並び、さらに建物の裏の路地裏にも新しいゲストハウスが オープンしているという、バックパッカーにとっては天国のような通りです。 通りの両側にかかっている看板もタイ語ではなくすべて英語です。ですので、異国情緒を求めてやってくる タイ人の大学生も多く、さらにそれを目当てにしたお洒落なカフェもあちこちにオープンし、もはやここは かつての安宿街というイメージからお洒落な街へと徐々に変貌を遂げていると言っても言い過ぎでは ありません。 ただ、いくらタイ人が集まってくると言っても通りを歩いているのは圧倒的に外国人が多いわけですので 「外国人=金持ち」という簡単な理由から、ここでの食べ物の物価はバンコクの他の地域に比べて 多少高めです。 (私の直感としては、スクムウィットの物価の高さと同じくらいかと思う。) 今日は、せっかくここまで出てきたのだからということで、オープンエアになったカフェで私がスパゲッティ、 エーが海老のグリルを食べました。今日のその店では、私達以外の客はみんな欧米人でして、 聞こえてくるのは英語だとかフランス語、ドイツ語ばかり、私とエーがいつものイサーン語で話をしているのを 店員が時々盗み見ては不思議そうな顔をしていました。 夕方のカーォサーン通りでこのように落ち着いて座っていると、あまりにも異国情緒が強すぎて、 はたしてここは本当にバンコクなの?と思いたくなることがしばしばあります。 |
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カーォサーン通りで見かけた物売り |
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昨夜、散歩に行ったカーォサーン通りから家に帰るバスに乗ろうと、二人でバス停に向かって通りを歩いて
いたときのこと。 時、折りしも暗くなってからで通りは外国人やタイ人でいっぱいです。道の両脇には歩道からはみ出して 車道で物を売っている売り子のダミ声があちらこちらから聞こえてきます。 そんな中、少し離れたところでまるでその売り子のダミ声をさけるようかのように、タイ山岳民族の 服を来た一人の少女が、その前に銀の腕輪だとか帽子を並べて座っているのが目にとまりました。 見るともなしに足を止めてそこに並んでいる数々の品を見ると、それはけっこう精巧にできている銀の 腕輪でした。私は何気なく値段をたずねてみました。 「ノーング。アンニー、タウライ ナ ニァ?」(ねえ、これ、いったいいくらだい?) 「サームスィップ カーゥ バーッ チャーゥ。」(39バーツです。) ん?私は、少女が話した言葉の最後の「チャーゥ」という言葉に懐かしい響きを覚えました。 これは紛れもないタイ北部方言またはタイ東北部方言で、以前チェンマイに行ったときに感じた タイ語方言のやわらかな響きを思い出しました。カーォサーン通りで民族衣装を着て物を売っている売り子の 多くは、バンコクに住んでいる人が服だけ来てあたかも北部の人に見せかけて売っています。 ですが、この少女はきちんと北部方言を話しました。 私は興味を覚えて再度話しかけました。 「ねえ、もしかしてチェンマイから来てるの?ボクも数ヶ月前にほんの少しの間だけどチェンマイに行って メオ族の村に行ってきたんだよ。」 少女はやさしそうな笑顔で私の話を聞いてくれました。 私が思った通り、彼女はチェンマイ県の出身で今はちょうど農閑期にあたり、その間だけ村で作っている 銀細工の腕輪や帽子をバンコクに売りに来ている、この通りには古くからいる物売りがいい場所をとって しまっているので、私みたいな新米はどうしても少し離れたところじゃないと、いろいろ問題があって―― と問わず語りに語りました。 私は値切ることもせず彼女の言い値そのままの値段で、ゾウの絵が刻印されている銀の腕輪をひとつ 買ってきました。 |
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バイヨークの下で |
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バイヨークというのはバンコクのプラトゥーナーム地区にある、タイでいちばんの高層ホテルでして
たしか85階建だったと思います。その最上階は360度周りを見渡せる展望台になっています。 今日の夕方、チャトゥチャック市場にウサギの餌を買いに行った帰り、家の近くでバスを降り その高さゆえにどこからでも目立った存在のバイヨークを見ると――何と真っ黒の煙に包まれているのです。 バイヨークが火事だ! 私は一瞬そう思いました。ここからバイヨークまでの直線距離は 約1.5キロありますので、細かい様子まではわかりませんが、とにかくバイヨーク周辺が火事であることに ちがいありません。 どおりでさっきから消防車のサイレンがあちこちで聞こえていたわけです。 私は首からデジカメをぶら下げていることに気付き、列車の線路の上をバイヨークの方に歩き始めました。 だんだんと現場近くになるにつれて野次馬の数がものすごくなってきます。線路の軌道敷の中を 警察のバイクが何台も通っていきます。軌道敷の中ですので、ここは消防車は通ることができず、 現場のすぐ近くまで行けます。 バイヨークの近くまで急ぎ足で歩きながら、火事になって今モクモクと燃えているのはバイヨークの すぐ西にある安ホテルであり、渋滞で消防車がなかなか現場に到着できないようで、 見てるとますます火の勢いが強くなってきているのがわかりました。 もう、すごい火事です。 黒い煙がまるで火山の爆発のように高さ300m以上もあるバイヨークを覆い隠し、火が燃え上がっています。 怪我人がいたかどうかまではわかりませんが、ペッブリー通りの渋滞を考えると救急車もまだ到着できて いないんじゃないの、と心配になってくるほどです。 バンコクは東京以上の人口密集地で家やアパートが軒を連ねるように建っていますので、ひとたび 火事になると大変なことになります。 今日の火事の原因はおそらく漏電かタバコの火か何かなのかな、と考えながらも私の家のまわりも 密集地ですので火の元にはますます気をつけなきゃ、と思ったのでした。 |
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学生の抗争 |
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タイでは高校を卒業した後に女は大学に進学しますが(もちろんお金があればの話)、
それに対し男はタイ語で「ポーウォーチョー」と呼ばれる職業訓練学校に進学することが多いです。 この職業訓練学校に通う男の生徒に間で、最近になって学校同士の権力争いが激しくなってきたらしく つい昨日もそうでしたが市内のルムピニー公園隣のウィッタユ通りで1人死亡、150人が負傷するという大きな 争いがありました。 テレビのニュースで放送された現場の様子を見ると通りを走る車の間を縫って学生同士で喧嘩したり 物を投げ合っている様子が映し出され、第三者の私から見ても壮絶な現場のように見えました。 これに対しタイ警察とタイ文部省はこの事態を重く見て、明日にでもこういった事態の再発防止の意味で 法令による罰則を強化するなどの対応策を検討すると話しています。 今回の学生抗争は10年前に起こった学生抗争とは違って学生による思想的なものではありませんので そのときほどには大きくなるものではないと思っていますが、少なからずとも一般の民衆に危害が及ぶことは 否めません。 普段はある意味では外見的なものかも知れませんが、おとなしそうに見えるタイの学生もいったん キレると手の施しようがないほどになってしまいます。学校内での規律が日本とは比べものにならないほどに 厳しく、学校の先生は絶対的な地位にありますので学校内で規律を侵すことは絶対にできません。 それゆえに、学校の敷地外での抗争事件に発展するのだと私は思っています。 いずれにしても、もしもこういう事態に巻き込まれそうになったらとにかく逃げるしかありません。 なお、この事件があったのは今年1月末にバンコク市内のカンボジア大使館襲撃による抗争事件があった 場所のすぐ近くです。 |
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学生の抗争 |
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バイヨークスカイとは、市内中心部、プラトゥーナームの雑然とした市場の裏側にある高級ホテルのことで
ホテルの宿泊客でなくても入場料を払えばここのてっぺんに上ることができ、地上84階からの眺望を
堪能することができます。 晴れていれば遥か100キロ先のパタヤまで見渡せるという話ですが、この空気の汚いバンコクでは その話はマユツバものです。 とは言うものの、ちょうど夕方の時間になると街のあちこちに灯りが点り始め、折りしも渋滞している車の ライトが光の線となってきれいに見えます。 展望台はガラスで覆われているわけでもなく、さすがに転落防止の金網はあるものの思いっきり屋外になっており 地上300mの高さを流れる風が頬に気持ちいいです。 夕方の6時になると、この展望台がぐるぐると回りだしちょうど10分でぐるっと360度、まったく歩くことなく 展望台の周りを一周できるようになっています。 私は結構ここがお気に入りの場所なのですが、タイ人だけでなく観光客もあまりここには来ません。 タイ人にとってはおそらく入場料が少し高く感じられるのが原因のようで(120バーツ)、また観光客の人にとっては ここの入り口までに辿り着くのにごちゃごちゃな魑魅魍魎とした市場の中を歩いていかなければいけないと いうのが大きな理由だと思っています。 事実、日曜の午後などにここの入り口まで来るのに、人ごみを掻き分けて約20分はかかってしまいます。 なお、この眺望を売り物にしたレストランが上階にありますがあんまりおいしくありません。 値段はたしかビュッフェ形式で400バーツだったと記憶しています。 ですので、ここの行くときは景色を見るだけにしておいたほうが懸命です。 |
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カーンチャナブリー |
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カーンチャナブリーとは、バンコクから見て西の方にあるミヤンマーと国境を接する県でして
南バスターミナル(サーイ・タイ・マイ)から長距離バスで約2時間の距離です。 バンコクにいても交通規制だらけでどこに行くにも不都合極まりないですので、今日は朝7時に家を出て 一人でカーンチャナブリーまで遊びに行ってきました。 カーンチャナブリーには、昔にはやった映画「戦場にかかる橋」の舞台となった場「クウェー川鉄橋」という 有名な橋がありまして、その鉄橋は今でも列車が一日数本走っていますが、それ以外のときは鉄橋の上を 歩いて渡ることができます。クウェー川は川幅が約100mあり、深緑色の水がゆっくりと流れるのを鉄橋の上から 見下ろすのはなかなかに気持ちがいいです。 今日は私はそこで魚を釣ろうと思って、家から釣り道具一式を持っていきました。 周りの木々の生態は全然違うけど、昔よく遊びに行った岐阜県の長良川の川相に似ていないことも ありません。 その辺の地面を掘り起こして餌にするためのミミズを探し、あらかじめ川面に巻いておいた撒き餌が 付近に十分に拡散するのを待ってから、仕掛けの道糸の長さを調整して掘り起こしたばかりのミミズを 鉤(はり)につけ、少し長めの竿を垂らします。 ふと上を見るとバンコクからここまで遊びに来た外国人大勢橋の上を歩いて渡っているのが見えます。 それを時々見上げながら竿の先の浮きを見ること約10分、20cmほどの体長のフナを釣り上げました。 持って帰っても仕方ありませんので湿らせた手でそっとフナを掴み、魚体を傷つけないようにして 丁寧に鉤をはずして川に逃がしてやります。 再び竿を下して今度は5分で少し小さめのフナ、そしてその次は40cmほどのナマズ。 喉が乾いて何か飲み物を買いに行こうと思っても、喉の渇きを我慢できるほど夢中になって釣っていました。 気が付いてみると時計は午後の2時を指しています。餌のミミズがなくなったので竿をたたみました。 川岸から水面に張り出した水上レストランの上で川海老のスープと豚ミンチとシソの炒め物のせご飯を食べながら こうして魚釣りしたのはいったいいつ以来かなぁと考えました。 |
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タイ・ラオス第二友好橋 |
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現在、タイとラオスとの間にかかる国境の橋として、タイのノーングカイ県にある友好橋が有名ですが
昨日、その2つめの橋としてタイのムクダーハーン県とラオスの間に架ける第二友好橋の建設に伴う
調印式が行われました。 一口に橋を架けるといってもその費用は莫大なものになると試算され、総額で12億バーツと 予想されています。いくらタイの経済成長率が7%を越える驚異的な数字を残そうとも、タイとラオスの 両国の経済力だけでそれを完成させることはできませんので、日本の国際協力銀行の資金援助により 完成に持っていくことになるらしいです。 極めて個人的な話をするならば、私は陸路で国境を越えるのが好きで、その逆に飛行機で ひとっ飛びにその国の空港に到着し、空港内の無機的ともいえるイミグレで事務的にハンコをもらう 入国はどちらかというと好きではありません。 もっとも、日本は島国ですのでどこかへ行こうと思えば常に飛行機に乗らざるを得ないわけですので、 それはある意味しかたのないことかも知れませんがタイのように周辺国と陸続きになっている国の場合は、 極力自分の足で歩いて国境を越えるのが好き、そういう意味では今回の新しい橋の話は 私にとって大いに興味がある話ということができます。 過去何回かビザの書換えの為にラオスに行きました。その都度、友好橋を渡ってラオスに入国して いるのですが、タイを出国するときのタイのイミグレの係官が私のパスポートをぱらぱらとめくり、 私のパスポート内の至る所にベタベタと押されている三角形のタイの入国スタンプを数えながら 「今度はいつタイに来るんだ?」と親しげな笑みを浮かべて聞いてきます。 タイという国の終点はここまで、川の向こうに見えるのはよその国、今日はどんな宿に泊まろうかな、 今夜は何を食べようかな、国境の係官は私を問題なく入国させてくれるかな、などと考えたりして、 陸路での国境越えはいつも少しだけ緊張します。そして、それはいつも心地よい緊張感なのです。 今回、第二友好橋ができるという話になり、完成まではまだまだ先の話ですがそれを楽しみに 待ちたいと思っています。 |
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カウントダウン |
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昨日は会社にいる日本人同士での忘年会でした。 ラッチャダー・ピセーク通りにある、バンコクで一番と言われている(らしい)シーフードレストランに行き、 その帰りにトーングロー入り口にある、私なんかが個人ではとても行くことができない飲み屋さんに 連行されてしまいました。 ちなみに3人で行ったのですが、費用を全部あわせると私の1か月の家賃を上回ります。 まったく、さすが外資系の企業というかタイの景気が抜群にいいというか。 今日で今年最後の会社です。今夜から会社の日本人はみんな日本へ帰ってしまいます。 私はというと、本当は今年こそ日本の正月を満喫したかったのですが運悪くチケットの予約が入らず バンコクで3度目の正月を迎えることになりました。 バンコクでもカウントダウンのイベントがありまして、テレビ中継もするほど有名なところでは ワールドプラザ前(旧ワールド・トレード・センター)、ラーマ8世橋、国立競技場などがあります。 特にワールドプラザ前では、タイの最新アーティストのコンサートも行われて、その前のダーチャダムリ通りは 夕方から未明にかけて通行止めになり、通りは人で埋め尽くされます。昨年、テレビを見ていたら その様子が画面に映し出され、1平方メートルあたりに大人が4人ほどの混雑さ――見ているだけで 息苦しさを感じます。 タイ人はこういう無料のイベントが大好きですので、おそらく遠くからバスを乗り継いでお祭り騒ぎに 駆けつけるんでしょうね。 私はといえば、別にそこまで歩いて行ける程度の距離に住んでいるものの、家でベッドに横になって その様子をテレビで見ていた方がサバーイです。それに、0時に打ち上げられる花火も家のベランダから 見ることができます。 |
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ドゥスィット動物園 |
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私が今、ずっと一人でいることを知っている学校の先生から電話がありました。 「ねえ、トムヤム君って今すっごく暇でしょ。もし、何も予定がなかったら私達と一緒に 動物園に行かない?」 動物園というのは、バンコク北西部ドゥスィット地区にある通称カオディンと呼んでいる 動物園のことでして、大きな池がある敷地内には日本の動物園と同じような動物がたくさん 飼育されています。 ただ唯一違うのは、さすが南国の動物園らしく爬虫類関係が得意のようで、蛇、トカゲ、 イグアナと言ったようにちょっと気持ち悪い動物がたくさんいます。 その電話に答え、朝、私の家の近くで待ち合わせして、先生2人と私、全部で3人で 動物を見に行きました。 着いてみると、やはりみんな行くところがないのでしょう、普段の日曜でもこんなに混んでいないと 思うほどの大盛況ぶりで、通常30バーツの入場料ですが今日はたぶんスペシャル料金なのでしょう、 1人40バーツになっていました。 「あたし、蛇大好きなの♪」と言いながらキングコブラを嬉しそうに眺めている先生の横で 「もういいから、早く次行こうよ」と先を急がせ、敷地内のKFCでチキンを買って池のほとりの 木陰でみんなで食べました。 バンコクには公共の公園が少なく、ましてや子供の遊具施設がある公園などほとんどありませんので 多少のお金を払ってでも子供をこの動物園に連れてきて遊ばせる親もいる――そんな話を 聞きながらずっと夕方まで芝生の上に寝転がっていました。 (私が知っている遊具つきの公園は、スクムウィット地区エンポリアムデパートの隣にある ベンチャスィリ公園のみ。) 帰る途中、アヌッサワリ脇にある屋台でイサーン料理を食べました。 黄昏の中、少し赤みを帯びたアヌッサワリの尖塔とその向こうに聳え立つ摩天楼にも似た バイヨークスカイの建物を見ながら、今年はどんな年になるのかなと思ったのでした。 |
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サムイ島第ニ空港 |
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タイ湾に浮かぶサムイ島に第2空港建設の話が持ち上がっています。 サムイ島というのはタイで2番目に大きな島であり、プーケットと双璧をなすタイのリゾートとして有名な所です。 そこには、今現在バンコク・エアウェイズが就航しているのですが、現在の空港はバンコク・エアウェイズが 自社で建設した空港ですのでその建設費用を賄うために航空運賃も高めに設定されており、 さらには他社が離発着するときの離発着料も高めに設定されているらしいのです。 (同様のことはチャーング島に近いトラート空港でも言える。ただ、トラート空港には他社便は就航して いなかったはず。) この期に及んでタイ政府もそのことを懸念しているようで、バンコク・エアウェイズに対して他社便の利発着料を 下げるように要請しているものの、バンコク・エアウェイズ側はその要求を受け入れようとしていません。 それに業を煮やしたタイ政府が 「さもなくば国の予算で第2空港を建設する」 という半分脅し文句にも似た言葉でバンコク・エアウェイズに圧力をかけているという算段です。 私の感想を申し述べるとするならば確かにバンコク・エアウェイズの航空運賃はかなり割高です。 タイ国際航空の国内線の5割増くらいの値段であるように思います。 今、タイ国内ではアジア・エアー、ノック・エアーというように次々と新しい格安航空会社が発足しており タイ国内線に限れば完全に航空自由化の時代に突入しました。それだけでなく、バンコク〜シンガポール片道が 1300バーツ(約34USドル)という値段で提供するという航空会社も出てきています。 そんな時代の中、サムイ島第2空港の建設の話が持ち上がっており、近い将来バンコク・エアウェイズが どのような動きを見せるのか――それがうまい具合に何らかの手段を用いて利用者に還元される方法で あればいいんだけど、などと思っています。 平たく言ってしまえば今まではタイ国内線もタイ国際航空の独壇場でしたので、このように複数の会社で 価格競争をしてくれるのはいいことであると認めますが、それを逆手にとって独占市場化してしまうのは ちょっと考えものです。 |
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スワン・サヤーム |
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今日は、私と妻とその妹の全部で3人でバンコク市北東にあるスワン・サヤームのプールに行ってきました。 おそらく英語で言うと「サヤーム・パーク」エアコンなしの普通バスならば約1時間半の道のりを4バーツ(11円) で行くことができます。 今朝、バス停の近くのなじみの写真屋に行ってデジカメの補充用の乾電池を買いに行ったとき、そこの マスターに「スワン・サヤームに行くなら半額になる割引券持ってるからあげる。」と言われ、これは行く前から なかなか運がいいのです。 入場券売り場で定価200バーツのところ半額の100バーツを払いました。入場料さえ払ってしまえば園内の 遊具やプールはすべて一切の追加料金なしで利用することができます。ここのプールはぐるっと円形の 一周回る流水プールのほかに、本物の海のような波が来てあたかもプーケットやサムイのリゾートホテルに 似せて作ったプールもあります。 波が来るプールの総面積はおそらく100m×70mはあるでしょうか、最深部は1.80mの水深です。 プールサイドにはココナッツの木が生い茂るように林立しており、正直なところバンコク市内にあるホテルの プールよりも格段にいい雰囲気なのです。プールサイドにはハンバーガーや飲み物をはじめとする食べ物屋さんが 無数にあり、市内の相場よりも少しは高いですがそれでも一人50バーツ程度で腹いっぱいになることができます。 プール入り口には貸し水着や貸しタオルの窓口もありますので、遊園地に遊びに行ったついでに少しだけ 水遊びしようかなっと思って立ち寄ることもできます。デポジットを取られますが、実質的な借り代は 水着が男の場合40バーツ、女の場合60バーツ、貸しタオルが30バーツ、ロッカーが10バーツです。 今日は結構まじめに一人で黙々と泳いでいましたのでかなり疲れました。バンコク市内から少し遠いのが難ですが、 それでも遠いのを辛抱してバスに揺られて行く価値が十分にあるです。 プールで泳ぎたくなったらたとえ一人であっても泳ぎに行ける場所が見つかりました。 |
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チュラ大ブックセンター |
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会社の税法関係のことで調べ事があったため、昼にアルバイトが終わってからサヤームまで出かけていき、
すぐ近くにあるチュラーロングコーン大学のブックセンターで本探しをしました。 日本にいた頃から結構本が好きで暇さえあれば本屋に足しげく通っていたのですが、さすがに バンコクでは日本の書籍がかなり高価なためそれもままならず、日系の本屋さんに行くことはめっきり すくなくなってしまいました。 その代わりに私が行くといえばもっぱらタイ語の本がたくさん置いてあるタイの本屋さんです。 ここのブックセンターはさすが大学の本屋というだけあって、学部で教科書として使用している学術書から はじまり、小説、エッセイ、トラベルガイドブック、雑誌、そして各種語学教材も多種取り揃えています。 店内の通路がかなり狭く、本棚の間で人とすれ違うときにかなり手狭な感じがするのですが、 私にとってはそれを補って余りあるほどの楽しい場所のひとつです。 普段でしたら結構学生が多いのであまりルーズな格好をしているとかなり目立って恥ずかしいのですが 今日は日曜日ということもあって学生服姿もあまり見かけることもなく、私の普段の格好でも全く併記です。 法律関係の本棚の前で目当ての本を探してもなかなか見当たらなかったので、傍で暇そうにしている 店員に訊ねました。店員はすぐに頷いて私がほしい本が置いてある場所を教えてくれました。このあたり、 以前によく行った国立図書館にも似ていて、みんな本についての知識がものすごく深いのです。 ついでにPC関係の本を少し買い、帰りになじみのカフェに行って小一時間ほど本を読んで帰ってきました。 今日は朝早くにジョギング、そしてアルバイト、その後に本屋に行ってカフェで読書。 自分で言うのも何ですが、教養あふれる休日でした。 |
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サヤームのマクドナルド |
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昨日から、タイの首相であるタクシン・チンナワット氏の娘さんがサヤームディスカバリー1階にあるマクドナルドで
店員のアルバイトを始めました。 首相もアメリカ留学時代にファーストフード店でのアルバイトの経験があるようで、娘に対してお金の大切さを 知ってもらおうというのがその大きなねらいのようです。 (その首相の娘を見ようとした人が多かったのかどうか、昨夜はサヤーム交差点付近が大渋滞でした。) タイでは今は夏にあたり、ほとんどの学校は夏休みに入っています。休み時間を持て余している学生に対して タイ政府も「余暇の時間を意義あるものにしましょう」という主旨のテレビCMを流すなどして、その一つの方法として アルバイトを奨励しています。 学生のアルバイトというとファーストフードの店員、レストランのサーブ、販売店での売り子などが思いつきます。 あるいは乾季の時期でしたらビアガーデンでのサーブなどというのも有りかも知れません。どのような職種であれ アルバイトの時給はおおよそきまっており、相場としては1時間あたり25バーツ前後のようです。つまり、1日4時間勤務 したと仮定して1日の収入は100バーツ(約280円)です。 ぜいたくせずにただ食べることだけに使うお金と考えると100バーツあれば何とか1日暮らすことができる金額だと思いますが、 アルバイトではなく正規の労働者である場合、バンコクでの最低賃金は法令により168バーツ(だと思いましたが) と定められています。 換言するならば、バンコクで暮らすには最低でも168バーツのお金が必要ですよとも読み取ることができ、それから考えると この100バーツという金額は時給単価に直してみると案外妥当なのかも知れないとも思えてきます。 ただ、マクドナルドで販売されているセットメニューの中で最も安いメニューが69バーツ、アルバイトの大学生が3時間弱 勤務してやっと手にすることのできる金額です。アルバイト側から客を見たときに、いったいどういう風に見えるんだろうなぁ などとも思ったりしています。 |
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パークナームの海 |
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妻が朝早くから出かけ、今日はずっと私一人なので、バスに1時間少し乗ってサムットプラーカーン県にある
パークナームという港町に行ってきました。 バスに1時間くらい乗っただけではまだ海は全然きれいではなく、むしろ汚いと言った方が正解に近いですが それでもふだんの街中のごたごたした様相から離れるものはなかなか気分がいいものです。 パークナームのバスターミナルの周辺は一大生鮮食料品市場になっており、すぐその脇にはチャーォプラヤー河河口の 対岸に渡る渡し舟の艀(はしけ)があります。市場では、水揚げされたばかりのエビ、魚、イカ、蟹などの海産物が あちらこちらで売られており、例えばブラックタイガー種のエビは1キロあたり150バーツが相場です。 (余談ですが、新鮮なブラックタイガーは青い色をしており、ヒゲも青色です。) あるいは、蟹をその場で茹でたのでしょうか、きれいな橙色をした甲羅の蟹が山のようになっている店もあります。 安いとは言うもののさすがに山ほど買って帰るわけにはいきませんので、一匹だけ買って近くの木陰で食べました。 以前、バンコク市内で蟹を買って食べたときになんと言うか、身がスカスカで全然はずれという印象があったので 今回もそんなに期待していませんでしたが、やはりここの蟹は文句なしに旨い!です。これだけの旨さで20バーツと言う値段、 何も文句はありません。 同じ道を引き返して帰ってきても芸がないので、船に乗って対岸に渡りプラ・プラデェーングまで行き、 木陰で店を構えているバミー(麺)屋台で、ほぐした蟹の実をたくさん入れてもらったバミーナームを食べ、 トンブリー経由のバスに乗って帰ってきました。 今日のパークナームまでの遠足の総費用は70バーツくらい、これで十分に気分転換が出来るものですから安いものです。 |
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衣料品市場 |
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雨後の筍のように市内各所にテスコロータスやカルフールと言った大型ディスカウントストアがオープンし、
昔からある生鮮食料品市場は衰退する一方だと思います。 そんな中で衣料品を扱う市場、たとえばボーベー市場やプラトゥーナーム市場などの衣料品を多く扱っている 市場は、そのようなディスカウントストアの影響をさほど受けることもなく以前にも増して活気付いているように 感じます。 タイの女性は日本人以上におしゃれに敏感です。それは何も流行の洋服を着るですとか高価なアクセサリを 見つけて街を颯爽と歩くといった次元の物ではなく、自分の個性を主張する、言い換えると自分に似合う服を 探すということに生きがいを感じているようなところがあるのです。 それだからでしょうか、プラトゥーナーム交差点に衣料関係を扱う大型のショッピングセンターである プラトゥーナーム・コンプレックスがオープンしましたが、いつ行っても中は閑古鳥状態です。皮肉なことに 夜になるとそのコンプレックスの前に店開きする屋台には人があふれ返っている状態になっています。 先程、タイ人は日本人以上におしゃれだと述べましたが、実際のところこれほどまでに多くの女の子向けの 衣料品屋台が林立していて果たして商売になるのかと思うことしきりです。屋台の軒先にぶら下がっている 値札を読むと、だいたい1着79バーツから99バーツ程度。おそらくその半額くらいで仕入れているでしょうから、 1着売れて50バーツ程度の儲けということになります。これで食っていけるのかと私などは頭を抱えてしまいますが、 おそらくこれで何とかなってしまっているのでしょう、ここがタイの屋台のわからないことのひとつです。 私も、妻と一緒に衣料品の屋台群に行くことがあり、嫁が品定めしている横でその辺にある服を 手にとって見ることがあります。多くはタイ国内で生産されたものですが、時々は韓国製や中国製の服が あったりします。 ずっと前に見かけたのは、インド製の腰巻布。本当は女性向けの布ですがあまりにもデザインがインド的で あったため私が欲しくなってしまい、それをその場で買ってきて腰巻布に仕立てたことがあります。 |
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学生街の市場 |
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夜、妻と二人で夕涼みの散歩をかねてラームカムヘーング大学まで遊びに行ってきました。 正確に言えば大学というよりもむしろ大学の前の通りであるラームカムヘーング通りの市場と いうことになりますが、この大学はタイで最も学生数が多い大学であり、 その周辺は一大学生街になっています。 さらにはそれらの学生目当てに大小さまざまな店が入り乱れており、夜になると無数の屋台が 通りを占拠してバンコク市内で最も活気のある通りだと思っています。 学生相手の商売ですので物価もずば抜けて安いのが当然です。私の家の近くの市場も それなりに安く、例えば今が旬であるランブータンが1キロあたり8バーツ、マンゴスチンが15バーツです。 衣料品で例えれば、男物の半ズボン(妻の談では生地・縫製ともにしっかりしている)が 1着39バーツの破格値になっています。 それだけ安い市場ですので歩道は人でいっぱいで、人とすれ違うことですらままならないですが 逆にそれほどまでに活気のある市場を歩くのはなかなかにうきうきしてきます。 このラームカムヘーング通りには、安宿よりも少し格の高い安ホテル〜中級ホテルがあちこちに 点在しており、さらには通りを走っているバスの路線数も非常に多くて宿泊するエリアとしては 便利な環境だと思うのですが、なぜか日本のガイドブックでは一切紹介されていません。 そのせいでしょうか、通りを歩く日本人の姿は全く見かけません。 このラームカムヘーング通りに一番簡単に行くには、ペッブリー通りを東進するバスに乗ることで、 プラトゥーナーム近辺からでしたら30分もあれば行ける距離です。あるいは、プラトゥーナームから 舟に乗りバーングカピまで行き、そこからバスで南に下りてきても行くことができます。 ちょうど夕方の日が暮れる頃に舟で行き、帰りはバスで夜の街の喧騒を眺めながら 帰ってくるというのが私的には格好のコースになっています。 |
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1泊2日のリゾート |
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たまにはのんびりとリゾートするのものんびりしてていいもんだよなぁと思ってた矢先、
先日に日本行きのチケットを頼んだ馴染みのエージェントの紹介で、カーンチャナブリー県の
あるリゾートホテルに行ってきました。 カーンチャナブリー県はバンコクの西方約130キロにあり、長距離バスで約1時間半かかります。 最も有名なのは映画「戦場にかける橋」そのものであるクウェー川鉄橋、橋の全長約は300m ほどもありその上を歩いて渡ることができます。ただ、一歩足を踏み外すと川に転落しますけどね。 私達が泊まる予定のホテルはその橋からさらに北方に行くこと25キロ。ソングテーゥに揺られて到着した 3キロ四方の敷地はクウェー川に面した丘陵地を切り開いて作られているようで、川に浮かぶ 水上コテージのような客室から丸太で作ったログキャビン風の建物まで、少し前に日本で流行した アウトドアの雰囲気がぴったりの感じです。 その合間には椰子の木やバナナの木が幾本となく植えられており、吹く風が少し汗ばんだ肌に心地よく 残念だけどバンコクにはこれほどの自然豊かなホテルはどこをさがしてもありません。 食事は川に面したオープン形式のレストランでとなっており、特に夕方や朝に木の梢で羽を休めている 鳥の鳴き声がちょうどいいBGMになって流れてきて、最高の演出を醸し出してくれるのです。 ホテルの敷地を出るだけで車で約5分かかりますし、そもそも町まで行くだけで30分車に乗らないと いけませんので、夜ご飯を食べたらもう何もすることがありません。ログキャビン作りの私達の部屋の 前にあるデッキチェアに深く寝転がって、川面を流れる水音を聞きながら真っ暗な闇を眺めながら 「やはりバンコクは住む街じゃないよな、どうせ住むならタイの田舎にすんでみたいよなぁ」などと 考えてみるのです。 行くだけでもかなり大変な場所にあるリゾートホテルですが、人工的な自然ではなく本当の自然が いっぱいで、タイの田舎の空気を思い切り吸い込んで帰ってきました。 |
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