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Sawasdee Thailand
タイの結婚式

仏暦2546年7月2日にタイの東北部、スィーサケット県の小さな村で結婚式を挙げました。

結婚式はタイ語の口語で「ガーン・テンガーン」、正式には「ピティー・スィリモングクコン」と呼称され、これを直訳すると「婚礼の儀」となります。 椰子の木、バナナの木、マンゴスチンの木が茂る自然豊かなタイのイーサーンの大地の上で、タイの古式伝統に則って行ないました。

自分の過去を述べるのは心なしか照れくさいのですが、タイの結婚式がどんなものであるか知っていただくために記述します。

bullet00片道17時間
バンコクからスィーサケットまでは列車で12時間、そして妻の実家まではさらに乗合トラックに揺られること4時間という 長旅です。待ち時間も入れると全部で17時間という道のりになり、昨日の夜行列車で寝不足気味の私には少ししんどいです。

スィーサケット駅から自転車サムローに乗って、乗合トラックが出発するバスターミナルに着きますと、既に妻の生まれた村である プライブング村まで行くトラックが停まっていました。

私と妻以外に、バンコクに住んでいる妹たちもいっしょに乗り込みます。私は、今夜から始まる結婚式に少し緊張を覚え、 村の人にどんな顔をして挨拶すればいいのかなどと考えていました。


停車中の乗合トラック
(停車中の乗合トラック)
家の裏にいた牛
(家の裏にいた牛)
乗合トラックの上で少し緊張している私の横で、妻と妹たちはさっきからお菓子を食べまくっています。

私たちの他にも少しは乗客が乗っており、それらの乗客の乗り降りでトラックは10分走っては停まります。 さらに、道に大きな陥没があったりしてそれを大きく迂回するために速度を落としますのでトラックは遅々として進みません。

「もう、いいや。焦っても仕方ないし。」と思って再び外の景色を見やると緑の中で一頭の牛が草を食んでいました。 この緑いっぱいの土地が妻の実家であると知り、私はやっとこの乗合トラックの修行僧のような旅が終わったことに 安堵のため息をつきました。

そして、トラックの行く先には村の人が総出で私たちの到着を道端で待っていてくれたのですが、 まるで異星人を見るような目で私はみんなの注目を浴びてしまいました。


私はまるで動物園にサルにでもなったような気分でトラックを降りました。妻の言葉によれば、この村に外国人が来たのが 初めてのことであり、誰もがその外国人である私を一目見ようとして私の一挙手一動を遠巻きにして見ているのがわかります。

私がイーサーン語で「こんにちは、元気ですか?」とたずねると、それがまた一層に奇異に聞こえたらしく 「なんだなんだ?この外国人はタイ語じゃなくってイーサーン語を話すぞ。」ということになり、ますます注目を浴びてしまいました。

とは言うものの、ここはバンコクではなくて生粋のイーサーン大地に根ざすスィーサケット県。はにかみながら私のことを 見ている子供に笑顔をふりまいているうちに村人の方から私に話し掛けて来て、私の身上を受け答えしているうちにすっかり 打ち解けてきました。

まるで昔から知っている知人のよう──その言葉がぴったりと言えるほどに田舎の人の優しさを感じたのです。
自然に囲まれた実家
(自然に囲まれた実家)
bullet00前夜祭
村の老人
(村の老人)
イーサーン地方の家で行なう結婚式の場合、式の前日に前夜祭があります。言ってみればこれが披露宴に相当するものですが、 自分の家の敷地内に設けた特設会場に村の人みんなを招待して行われます。

庭には既に日差しよけのテントが張られ、その下ではテーブルが所狭しと並べられており、家の敷地内には手伝いに来てくれた 近所の老人がみんなでわいわいと楽しそうに料理の準備をしています。そして、その脇では子供が走り回っていました。

村の人が準備をしてくれていますので、私は特に何をすることがありません。 邪魔にならないように老人の横に座ってその料理する手つきを眺めているだけでした。


このあたりは、イーサーン地方といえどもカンボジアとの国境に近い場所に位置しており、国境まではわずか30kmの距離です。 村人が話す言葉は土地の言葉であるスワイ語とイーサーン語だけ、私が話す中部タイ語はあまりわからないようです。子供時代には学校でタイ語を習ったのでしょうが 話す機会がないゆえに忘れてしまったのでしょうか。私は努めてイーサーン語を話しました。

その代わりに村の子供はタイ語をわかってくれました。子供とはタイ語で意思疎通できますが、それにしても子供のタイ語も相当に訛っているのが 私にもわかりました。

傍らではたった今絞めたばかりだという豚が解体されはじめ、村人のテンションもますます上がってきます。


集まってきた子供
(集まってきた子供)
あたりがすっかり暗くなる頃にやっとのことで披露宴の準備が整いました。私と妻は正装して、庭先に並んで来客を迎えます。

来客と言ってもみんな思い思いの格好でやってきますので、私たち以外でそれなりに正装してるかなぁと思われるのは妻の両親と親戚くらいなものです。 みんなそれぞれに、以前に私たちが送った結婚式の招待状が入っていた名前付きの封筒にお祝いのお金を入れてきてくれました。ここは田舎ですので バンコクでのそれとは全然相場が違いますが、だいたい一人100〜200Bくらい。中には、お金の代わりに酒を持参でくる人もいて、 このあたりいかにもタイらしさが伝わってきます。

私たちは来客の一人一人にワイをして丁重に迎えました。男である私はお辞儀をするように頭を少し垂れるワイ、女である妻は膝を少し曲げながら 頭を少し垂れるワイ、これがタイでの正式なワイだとされています。

全部で100回くらいワイをした頃、ようやく私たちもテーブルにつきました。来客の多くはもうすでにかなり酔っており、私のところに来ては 「オレは、△△に住んでいる○○だ。嫁と喧嘩して逃げられそうになったらいつでも相談に来い。」と挨拶してくれますが、 私には一度にそんなにたくさんの人の名前と顔を覚えられません。


村長さん
(村長さん)
テーブルの上に乗っている料理は、豚肉と鶏肉を主菜にしたイーサーン料理、そして川で取れるナマズやコイの塩焼など。海よりも川に近い土地ですので 宴会料理に付き物である海鮮料理はありません。

結婚式の仲人役をお願いしてある村長さん夫妻に呼ばれ、私は無理やり酒を飲まされます。そして、今日の為に作った特設ステージに上がらされて スピーチをする羽目になってしまいました。よそ行きのタイ語で話さなきゃと思うものの、酔った頭にはそれは無理な相談で横にいる妻に助けてもらいました。

折りしも今日は妻の誕生日。バンコクから持ってきた特大の2段ケーキにナイフを入れ、それをみんなで食べてからさらにまた酒を飲み、 ボルテージが一気に上がったところであたりはディスコと化したのでした。
bullet00結婚式の日
古式伝統に則り、家の近くのワットから僧を5人呼んでありました。

私たちは昨夜の前夜祭とは違い、これこそ正しくタイの結婚式にふさわしいと思われる衣裳を身にまとって壇上に座っている僧に対座するように 座ります。僧は私が今までに聞いた事もない言葉(サンスクリット語か)で呪文のような詔(みことのり)を唱え、それが終わると私たちの額に 筆で丸印のようなものを描きました。

おそらくこれが夫婦の証を示す印なのでしょう、私にはその由来を理解することはできませんでしたが壇上に座っている私たちの姿を みんなが見つめています。私は、いつになく真剣な顔で僧にワイをし、神妙な面持ちで僧の顔を見つめます。


僧の前で
(僧の前で)
ほら貝の水かけ
(ほら貝の水かけ)
そのまま僧の面前に座ったまま結婚式の中で最も重要な儀式、つまり日本の三々九度に相当する儀式が行なわれます。

私たちが再び僧にワイをした後で、私の右手と妻の左手を重ねるようにしてから僧がその上からほら貝に入った水を私たちの手の上に注ぎます。 一筋の水が新郎新婦の二人の手の上を流れ落ち、それがあたかも世の常を表しているのでしょうか、少なくともその時の私にはそう感じました。

それが済むと、僧の前での儀式はすべて終了しました。私は妻の母が用意しておいてくれたご飯を僧に献上してから壇上から降りました。

しかし、結婚式はまだ終わりません。これから昼過ぎまで延々と続くのです。


次に嫁取りの行列の儀式が行なわれました。

これは新郎である私が一旦家の敷地から外に出て、持参してきた結納金と金(きん)を持って村の人々と一緒に村の中を練り歩くというもの。 つまり、新郎がどれだけの現金と金(きん)を持ってきたかによりその嫁の価値がわかるというものです。

私の周りには村長夫人をはじめとして大人や子供総勢100人の大集団ができ、笛を吹いて太鼓を叩きながらみんなを一緒に村の中を 歩きました。

一回りして妻の家の庭先まで帰ってくると、そこには門番がいて私を家の庭に入れさせまいとします。これもタイの結婚式での儀式のひとつでして 私はそこで門番に対していくらかのお布施をしなければならないのです。誰も彼もが私からお金がもらえるということを知っていますので にわか門番がそこかしこに全部で10人くらい。

こんなところでケチっていてはケチな新郎になってしまいますので、私は思い切り奮発して1人50B、全部で500Bのお布施をしました。


行列が出発するところ
(行列が出発するところ)
再び家の敷地内に戻ると、村の長老により結納金の額と金(きん)の重さがみんなに伝えられます。

仮にお金持ちのご令嬢を嫁にもらいバンコク市内で式を執り行った場合には私では想像もつかないほどに大きなお金になるそうですが 私たちの結婚式の場合は田舎での結婚式でもあることですし、妻もそれほど大金持ちの娘ではありませんのでごくごく平均的な結納金と金だと思っています。

私たちはそれぞれに結納品と金が置かれている小鉢を手にして長老にワイをし、そしてその後で私と妻が向かい合わせに座ります。 妻が私に対して体を平伏した格好の最敬礼のワイをした後で、私は持ってきたいくつかの金の首飾りを妻の首にかけました。


持参した結納品と金の前で
(持参した結納品と金の前で)
米投げ
(米なげ)
この頃になると式は最高潮に達しており、今度は長老の前に並んで座りずっとワイをしたままで、時にはその場に平伏しながら 結婚の祝辞を申し述べてもらいます。

私たちの頭にはタイ語でスィリモングコンと呼ばれる花輪がつけられており、私の花輪と妻の花輪は一本の糸で繋がっています。

また、周りにいる村人からはお祝いの意味で精米を投げられ、それが顔にあたって痛いほどです。私たちの前にある大きな飾り物は この日の為に村の人がみんなで作ってくれたものです。

この儀式は時間にして約30分。正座に近い格好で長い間座っているので足の痛さも半端ではありませんが、私にとっては今こうして夫婦になったことを 心身に感じた瞬間でした。


このような儀式の後で誰もが認める夫婦になると村のみんなが私たちの元に寄ってきて、それぞれに白い糸を私たちの腕に巻いてくれます。

「末永く幸せな夫婦でいられますように。」「子宝に恵まれますように。」そういうことを口々に唱え、まるで自分の息子や娘を諭すかのような 口調で私たちの幸せを願ってくれました。

両親や親戚の人は、ご祝儀とばかりに100Bほどのお金を一緒に巻いてくれたり、妻の妹たちは「私、学生でお金がないから。」と照れくさそうに 言いながら、お金の代わりにバナナの葉っぱを小さく切って巻いてくれました。

私たちの腕に全部で80本ほどの腕輪がかけられた頃に、結婚式はいよいよ終りに近づきました。


腕輪
(腕輪)
スィリモングコンを頭に
(スィリモングコンを頭に)
結婚式は最後に私たち二人が揃って寝室に入ることによりそのすべてが終わります。

本来のタイの伝統に則れば新郎新婦は明日の朝までこの部屋から一歩も出てはいけないとされているのですが、さすがにこの部屋では 暑すぎます。朝からずっと正装姿でいますので汗と埃で体はべとべとです。

私たちのすぐ目の前に座っている村長夫妻もそのことは百も承知のようで「別に朝までここにずっといなくてもいいですからね。」と 気遣いの言葉をかけてくれます。

私たちが村長夫妻前での一通り御礼の言葉を述べた後で、私は着慣れた普段着に着替えてシャワーを浴びに行き、ようやくこのイーサーン地方での 結婚式が無事に終わったことを知りました。
bullet00最後に
日本からこの国にやってきた3年前、自分がこのタイの大地で結婚式をあげるなどということは思いもしませんでした。 それだけにこの3年という年月の重みを感じるとともに、同時に自分とタイとの距離がまた一歩縮まったようにも思えてきます。

最初は少し警戒するように遠巻きに私を見ていた村の人ともすっかり打ち解け、わずか数日しかいなかっただけなのに以前からの 知り合いであるかのように話をすることができました。それは時に私のイーサーン語での表現力のまずさから言葉に詰まりながらの話では あったけれど、私にとってはそういったことなどさほど大切なことではなく、タイ古来の生活を今も頑なに守っているタイ人の頑固さを 垣間見た一瞬でもありました。

最後までお読みくださりありがとうございました。

写真を撮影してくれた妹のタウ、ナー、ノックの3人、私たちのために料理を作ってくれた両親と親戚の人、親切にしてくれた村の人みんなに 感謝の言葉を申し述べます。

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